2009年8月15日

終戦の日に

 この8月は、激しく鳴く蝉の声の中、子どもたちに伝えなければならないこと、伝えていかなければならないことがあります。

 なかなかUpできませんでしたが、8月6日は絵本『おりづるの旅-さだこの祈りをのせて (PHPにこにこえほん)』を子どもたちに読み聞かせました。絵本を読み聞かせる時は、その絵本によっては所々解説するのですが、私が原爆という恐ろしい兵器が今もまだたくさんあるということを言うと、“読み聞かせ、いつも一所懸命聞いてくれる四兄弟”(#^.^#)のIくんは、驚いたように
「(ゲンバクは)まだ、あるの?」
と。やはりこうしたことを意識的に伝えて行くこと、私たちの忘れてはならない大切な役割です。
 さて、この絵本では、日本の子どもたちが「原爆の子の像」を建てたことを知り学んだアメリカの子どもたちが「こども平和像」をつくったことが描かれています。そんなアメリカの子どもたちは、この「こども平和像」をヒロシマとナガサキに落とされた原爆をつくった町、ロスアラモス市に置こうとしますが、この市にはその当時も多くの人が原爆に関わる仕事に従事していたため、また、依然としてアメリカ国内には
「原爆をおとしたから、あの戦争は終わった」
と言う論調があるため大きな反対にあい、この市に置くことは実現できませんでした。

 子どもたちに問いかけます。
 「もっとたくさんの人を救うためにゲンバクを落としたっていうんだけど、14万人が殺されたんだけど、どう思う?」
「……」
「ロスアラモス市の人も、それで生活しているんだよ(もちろんすべての人ではありません)。家庭があって子どもを育てて…。生きていくためには仕事をしなければ…。もし、人を殺すための兵器をつくる仕事しかなかったら、そして自分が作った武器で人が死ぬとしたら、君たちはどうする?」
「……」
 しばらくの沈黙の後、6年生のTくん
「…う~ん、ボクだったら(仕事をせず、食べることができずに)ジブンガ、シヌ…」
その言葉を受け5年生のKくんも、
「ボクモ…カナ…」
「そんな風に思える、TくんとKくんはスゴイと思うけど、それって正しい答えだろうか?戦争なんてない、武器なんてないそんな世界にしないといけないね」

 子どもたちとこんな会話をしなくてもいい世界にしていかなければなりませんね。そしてそれは私たち大人の責任です。

休暇の後

 皆さんは『木曽節』をご存知でしょうか?私の田舎の民謡で、ちなみに一番の歌詞は以下の通り。

  木曽のナー
  中乗りさん木曽の御岳
  ナンジャラホーイ
  夏でも寒い
  ヨイヨイヨイ

  *写真-宿場町の我が故郷   
 
 「夏でも寒い」…
 すでに故郷で生活していた時間より、ここ名古屋で生活してる時間の方が長くなっている私にとって、小学生の時など田舎で毎年夏にはこの盆踊りの輪の中に入っていたものの、この歌詞の意味は?でしたが、今はつくづく「本当にその通りだなぁ」と。

 この時期、「暑い」が挨拶語の名古屋ですが(^^ゞ、我が故郷は今夏も朝夕はやはり寒く、暫しのお盆休暇を、快適に過ごしてきました。たまに帰省する私たち家族にとっては快適な(寒いぐらい!)そんな田舎も、そこで暮らしている両親はことあるごとに、
「暑い、暑い…」 
と、扇風機をまわしていました(^^ゞ。
 * ちなみに、私は一般家庭用のエアコンとゴキブリ(一般家庭用?)は、
  名古屋に出てきて初めて見ました。

 さて、快適…といえば、今回の休暇中、丸三日間パソコンに触らなかったこと、これも“快適”と思えた大切な要因かも。私がパソコンを手にしたのは2000年12月、以来、丸三日それを触らなかったなんてことはなかったように思えます。パソコン、これはある意味魔法の箱です。できることが増える中、凝り性の私は、また私自身の“美学”もあるため(^^ゞ、本当に夢中に!こうした中、自分自身で満足できたことや便利になったと思うことはありますが、また、今の時代、必要なものでしょうが、パソコンを手にしたこと、一方では大きな後悔です。
 パソコンを手にし夢中になった時期、それはちょうど我が子の学童期や保育園時代で、だからきっと我が子は家ではいつもパソコンに向かっている、仕事をしているそんなオヤジの姿しか…。しかし子どもたちは「トウサン」と。もちろんそれは子どもたちだけでなく…。

 オイオイ、ナニ、カンショウニ ヒタッテイルンダ?
ソンナジカンガアルナラ、ヤラナキャイケナイコトガアルダロウ?

 さぁ、何から手をつけよう?
丸三日何もやらなかったことで、日々の保育、明日の体制と昼食メニュー、HPの更新、合同の指導員体制と会計業務、キャンプ、子どもまつり…e.t.c.
 とりあえず、気になっていたBlog、一ヶ月ぶりに更新できたかな。