2009年11月16日
指導員冥利
今、どこの世界も厳しいが、好景気、そして不況などの社会の状況に左右されず常に厳しい指導員の仕事。しかしやりがいは、比べることはできないが何にも負けない。ただそうは言うものの、実際、子どものみならず色んな保護者の皆さんと関わるから、苦しくなることも多い。
しかし、それ以上に心が通い、繋がっていると感じる瞬間も日々あり、そんな想いが私を支え、私は今ここに居る。
さて、先日も学童指導員をやっていて良かったと思う出来事があった。職場の近くにできた大型家電量販店にプリンターの用紙を買いに行った時、高校生のグループとすれ違った。なぜかその中心にいた女の子と目が合い、お互い一瞬見合ったが、何も言葉を交わさずすれ違った。その後目的の商品を手に取りレジに向かおうと振り返ると、そこにはちょっと前にすれ違った高校生の女の子が…。
彼女は首を傾げながら、
「シャリバン…?」
「……」
「まだ、指導員やっているの?Y那(彼女の名前)だよ、忘れちゃった?」
「…Y那…?」
そう、高校生になり、そして社会人に向かう中、女の子は外見が大きく変わることがあるため、声をかけられなければわからないということ、そうしたことはよくある。
彼女は再び、
「Y那だよ、忘れちゃった?」
「忘れてないよ!今、A高校に行っているんだって?」
「よく知っているね」
「この前、お父さんに聞いたんだよ。いやぁ~、でも変わったね…」
そして二言三言交わした後、
「声をかけてくれて、ありがとう。声をかけてくれなければわからなかったよ。声をかけてもらえて、嬉しかったよ。シャリバン…、Y那に嫌われていると思っていたから…」
Y那はお隣K学童に在籍していた子のため、毎日接していたわけではなく、彼女が高学年になるにつれ接点が少なくなる中、彼女も思春期を迎える中、合同保育で時々会う時などは私に対しては壁を作っていた。彼女のその時の態度で、私はそんな風に感じていた。
この私の言葉を受け、Y那は
「エーッ、そんなことないよ。うち…、あの頃…、自己表現が苦手だったから…。でも、うち…、変わったんだよ(#^.^#)!」
ワカル、ワカル、コエヲ カケテクレタ キミ、ソシテ キミノ イキイキトシテイル エガオ。キット、イマノキミノ コウコウセイカツハ、ジュウジツシテイルンダネ。
あの頃…、自己表現が苦手だったから…と、自己分析をするY那。きっとこの間、どこの家庭でもあるようにお父さんやお母さんとの関係の中では色々あったことと思うが、子どもって、着実に大きくなって-。
そしてこんな子どもたちの姿に触れた時などは、
“指導員をやってて良かったな…”
と。
Y那、声をかけてくれて、ありがとう。
さて、そのY 那は別れ際、その時は学童の同期生であるUちゃんも誘って
「今度、(学童に手伝いに)行くね」
と。今からその日が楽しみである。
2009年10月26日
第44回全国学童保育研究集会
2009年8月15日
終戦の日に
なかなかUpできませんでしたが、8月6日は絵本『おりづるの旅-さだこの祈りをのせて (PHPにこにこえほん)』を子どもたちに読み聞かせました。絵本を読み聞かせる時は、その絵本によっては所々解説するのですが、私が原爆という恐ろしい兵器が今もまだたくさんあるということを言うと、“読み聞かせ、いつも一所懸命聞いてくれる四兄弟”(#^.^#)のIくんは、驚いたように
「(ゲンバクは)まだ、あるの?」
と。やはりこうしたことを意識的に伝えて行くこと、私たちの忘れてはならない大切な役割です。
さて、この絵本では、日本の子どもたちが「原爆の子の像」を建てたことを知り学んだアメリカの子どもたちが「こども平和像」をつくったことが描かれています。そんなアメリカの子どもたちは、この「こども平和像」をヒロシマとナガサキに落とされた原爆をつくった町、ロスアラモス市に置こうとしますが、この市にはその当時も多くの人が原爆に関わる仕事に従事していたため、また、依然としてアメリカ国内には
「原爆をおとしたから、あの戦争は終わった」
と言う論調があるため大きな反対にあい、この市に置くことは実現できませんでした。
子どもたちに問いかけます。
「もっとたくさんの人を救うためにゲンバクを落としたっていうんだけど、14万人が殺されたんだけど、どう思う?」
「……」
「ロスアラモス市の人も、それで生活しているんだよ(もちろんすべての人ではありません)。家庭があって子どもを育てて…。生きていくためには仕事をしなければ…。もし、人を殺すための兵器をつくる仕事しかなかったら、そして自分が作った武器で人が死ぬとしたら、君たちはどうする?」
「……」
しばらくの沈黙の後、6年生のTくん
「…う~ん、ボクだったら(仕事をせず、食べることができずに)ジブンガ、シヌ…」
その言葉を受け5年生のKくんも、
「ボクモ…カナ…」
「そんな風に思える、TくんとKくんはスゴイと思うけど、それって正しい答えだろうか?戦争なんてない、武器なんてないそんな世界にしないといけないね」
子どもたちとこんな会話をしなくてもいい世界にしていかなければなりませんね。そしてそれは私たち大人の責任です。
休暇の後
木曽のナー
中乗りさん木曽の御岳
ナンジャラホーイ
夏でも寒い
ヨイヨイヨイ
*写真-宿場町の我が故郷
「夏でも寒い」…
すでに故郷で生活していた時間より、ここ名古屋で生活してる時間の方が長くなっている私にとって、小学生の時など田舎で毎年夏にはこの盆踊りの輪の中に入っていたものの、この歌詞の意味は?でしたが、今はつくづく「本当にその通りだなぁ」と。
この時期、「暑い」が挨拶語の名古屋ですが(^^ゞ、我が故郷は今夏も朝夕はやはり寒く、暫しのお盆休暇を、快適に過ごしてきました。たまに帰省する私たち家族にとっては快適な(寒いぐらい!)そんな田舎も、そこで暮らしている両親はことあるごとに、
「暑い、暑い…」
と、扇風機をまわしていました(^^ゞ。
* ちなみに、私は一般家庭用のエアコンとゴキブリ(一般家庭用?)は、
名古屋に出てきて初めて見ました。
さて、快適…といえば、今回の休暇中、丸三日間パソコンに触らなかったこと、これも“快適”と思えた大切な要因かも。私がパソコンを手にしたのは2000年12月、以来、丸三日それを触らなかったなんてことはなかったように思えます。パソコン、これはある意味魔法の箱です。できることが増える中、凝り性の私は、また私自身の“美学”もあるため(^^ゞ、本当に夢中に!こうした中、自分自身で満足できたことや便利になったと思うことはありますが、また、今の時代、必要なものでしょうが、パソコンを手にしたこと、一方では大きな後悔です。
パソコンを手にし夢中になった時期、それはちょうど我が子の学童期や保育園時代で、だからきっと我が子は家ではいつもパソコンに向かっている、仕事をしているそんなオヤジの姿しか…。しかし子どもたちは「トウサン」と。もちろんそれは子どもたちだけでなく…。
オイオイ、ナニ、カンショウニ ヒタッテイルンダ?
ソンナジカンガアルナラ、ヤラナキャイケナイコトガアルダロウ?
さぁ、何から手をつけよう?
丸三日何もやらなかったことで、日々の保育、明日の体制と昼食メニュー、HPの更新、合同の指導員体制と会計業務、キャンプ、子どもまつり…e.t.c.
とりあえず、気になっていたBlog、一ヶ月ぶりに更新できたかな。
2009年7月8日
七夕の日の「ありがとう」
澄んだ空にくっきりと浮かぶ真ん丸の満月。朝からの気象予報では織り姫と彦星は出会えないのでは…と言っていたが、どうしてどうして。きっと一年に一回の再会に心躍らせていたことでしょう(#^.^#)。今晩は月が明るすぎ、ここ名古屋では残念ながらベガとアルタイルを見ることはできず(月の東の星は木星)。
さて、一年に一回といえば、そう誕生日。
中川学童では子どもたちの誕生日に、保護者の皆さんからのメッセージ入りの“誕生日特集号・通信『てだのふぁ』”を発行しており、本日は先週末に誕生日を迎えたYッキーの特集号を発行。そんな特集号に掲載している保護者の皆さんからのメッセージは子どもたちみんなの前で読み、誕生日の子に渡します。
そして今日はお母さんからのメッセージを読んだ後、Yッキーに彼の特集号を渡しました。するとYッキーは彼らしい、ワクワクドキドキ感をその瞳にたたえながら、
「ありがとう」
と、しっかり受け取ってくれました。お母さんからのメッセージ、嬉しかったのかな(#^.^#)?
ところで、このように誕生日特集号など子どもたちに渡す時、きっとテレもあるのかもしれませんが、中には「ドーモ」の一言で受け取ったり、何も言わずに手にする子もいる中、恩着せがましく押しつけるわけではありませんが、Yッキーの自然な「ありがとう」には、思わず嬉しくなりました。
以前、挨拶が良くできる子のことを保護者の方に褒めると、家ではそうでもないこと、そして
「学童で褒められているいるから、できているのではないでしょうか?」
と仰っていただきましたが、子育てはやはり褒めてあげることが大切であり、同時に私たち大人が良き手本にならなければ…と思います。
「ありがとう」の一言、お子さんに言っていますか?
君がここに居ること、居てくれること、本当に、ありがとう(#^.^#)!
2009年7月6日
大成功!シャボン玉に入ったよ!
2009年6月29日
6月23日は沖縄慰霊の日、そして『てだのふぁ』
中学時代…、今から思うとヘンなトモダチの影響を受け、戦記物を思いっきり読んでいました。坂井三郎さんの『大空のサムライ』とか。おまけに思いっきり感化されていたので、高校受験前その決意を作文に書かされた時には、
「神風よふけ」
と締め、当然のことながら担任にはあきれ顔で、
「そんなこと言っていないで、勉強しろ!」
高校では司馬遼太郎。浪人中には三浦綾子。
そして、大学での灰谷文学との出会い…。そんな灰谷文学との出会いがあり、やっと沖縄出身のクラスメイトがその自己紹介の時に
「本土の人は…」
と言っていた、その“ホンド”に込められた意味が、まだまだ終わっていない戦争のことを知りました。
今も大して物事を知っているわけではありませんが、それまで本当に何も知らずにのほほんと生活していたことに愕然としたことを、今でも覚えています。こうした経過から中川学童の通信名は『てだのふぁ』に。
以下、先日発行した『てだのふぁ』から抜粋します。
皆さんのお手元にお届けしている学童通信『てだのふぁ』-
“てだのふぁ”というのは沖縄の方言で “太陽の子”という意味です。そしてこれは児童文学者・灰谷健次郎氏の著作『太陽の子』から転用しました。
人との出会い、音楽・映画・本との出会い‥など、人生の中には様々な出会いがあります。そして、そんな出会いによって自分が大きく変えられることや、物の見方が大きく変わることってありますよね。私にとって灰谷文学は、そんな大きな出会いでした。
『太陽の子』の中で、主人公のふうちゃんが担任の先生にあてた手紙に
「知らなければならないことを知らないでいるような、そんな勇気のない人間にはなりたくはない‥」
というそんな一節があります。そしてふうちゃんは勇気をもって、自分につながる人の歴史をたどって行きます。私たちの生活の中には、権力によって意図的に知らされないでいることや、歪められてしまっている事実-、知らされていない歴史、そんなことが本当にたくさんあります。
私が出会う子どもたちにも、ふうちゃんのように考えることができるような、そんな子に育ってほしい‥そんな願いを込めて命名しました。もちろん、子どもたちの前に、先ずは私たちが学ばなければ、そんな視点を持たなければなりません。子どもたちは身近にいる大人に憧れをもって成長します。私たち自身が、子どもにとっての良き模倣者でありたいですね。
さて、この『てだのふぁ』では、学童での子どもたちの様子をいきいきと伝えて行くとともに、学童からの連絡事項を載せます。お忙しいこととは思いますが、必ず目を通してください。
また、全員を満遍なく均等にこの通信で‥という想いはあるものの、どうしてもその時々のトピックス(ドラマ、事件など)や“旬の時”(お子さんが大きくかわる時)を迎えた子どもたちの話題が中心となってしまう傾向があり、我が子の名前が何号に渡っても見当たらない!なんてこともあるかもしれません。しかし、自分のお子さんのお名前がなくても、他の子の様子にもぜひ注目してください。学童っ子みんなを我が子のように見ていただくことができれば‥と思います。子どもたちの成長の速度は一人一人違います。
“旬の時”は、必ずみんなに訪れます。
2009年6月15日
ハマった!
2009年6月12日
フォローになっていな~いッ(#^.^#)!
「公園へ行く時は帽子をかぶろう」
という私のお達しをしっかり受け止めてくれているので、公園へ行く時には黄色の帽子が六つ、仲良く揺れています。
中でもR太郎くんはチョー真面目、そしていつも真剣です。
例えば、先日、学童の庭で遊ぶために外へ出たR太郎、しかし、
「あっ、ぼうし…」
とすぐに部屋に戻ってきました。
「今日は太陽は出ていないから、帽子はかぶらなくてもいいよ」
やりっ放し、そして私たち指導員の言うことなんてどこ吹く風(^^ゞ…といった感じの子が多い中、本当に奇特な子です。
ただ、真面目すぎて、思わず笑ってしまうことも!
一輪車を練習していたCちゃんの写真を撮った時、
「Cちゃんって、よく見るとお母さんに似ているね」
と言うと、Cちゃん
「エーッ!やだぁ、あんなデブ!」
「……」(^^ゞ
するとこんな私たちのやりとりを聞いていたTくんとR太郎、まずTくんが憮然とした表情で(この子もR太郎に負けず劣らず真面目!)、
「そんなこというもんじゃない」
すると、そんなTくんの言葉を受けたR太郎くん、真剣な顔で
「そうだよ、いくらデブだって、そんなこといったらシツレイだよ!」
「……」(^^ゞ
もう、返す言葉がありませんね(#^.^#)。でも、R太郎くん、それでは、
2009年6月7日
かあちゃん
そんな中、朝刊の広告スペースで見つけた『かあちゃん』のタイトルと「生まれてきた瞬間、いちばんそばにいてくれるひと」「重松清が初めて描く母と子の物語」などの書評。思わず速攻でアマゾンから取り寄せると、もう一気に。かあちゃん…私は母のことをずっと「お母さんと」と呼んでいるが、今こうしている間にも確実にその時に向かって年をとっている母。そんな田舎で暮らす両親とこれからどう向き合って行くのか?日一日と老いている両親の生活をどうして行くのか?もしも介護が必要になったら?そう、今の私の名古屋での生活は母の健康の上に成り立っている。そんな母に甘えて、いつもこのことを考えているわけではないが、また前述の自問についての答えについてはずっと先送りしているが、その答えを出さなければならない日がもし突然やってきたら?
さて、その著者の重松 清さんだが、数年前の全国研(全国学童保育研究集会)・記念講演でお話しを聞いたのだが、私としてはあまり印象深くなかったので、メディアで重松さんの本が紹介されていてもこれまではスルーしてきた。しかし、このタイトルと前述のことから、今回初めて重松作品を手に取った。
さて、この作品、実はいじめ問題もテーマになっており、「かあちゃん」はもとより登場人物一人一人とどこにでもありそうなその家族が主人公で、そんな家族の生活が折り重なるように、まるで映画みたいに描かれている。そして「かあちゃん」が抱え選んだ人生が、まったく別の場所と時間の中で生活していたいじめた側、いじめられた側の子どもたちの心をつなげて行く…。
どうやら重松作品にはまりそうである(#^.^#)。
次は、父親と息子が描かれているという『とんび』かな。
2009年5月27日
優しさの中で
その瞬間、涙あふれる中、悔しさにそれをたたきつけると共に、当然のことながらなかなか立ち直ることができませんでした。
そんなK樹が帰り際にはいつもの彼に戻れたのは、仲間の力…やさしさです。
大人ならモノがモノだけに修復は不能と別の対応を考えますが、子どもたちは違います。Y斗は
「ボンドない?」
と部屋からボンドを持ち出し何とかしようと。Mちゃんはカケラを集めてきてくれます。
「みんなありがとう。でも、もうこれは無理だからここに置いておこう」
と、水場に置きました。数分後、ある子が水道の蛇口をひねろうとすると、
K心はあわてて
「K樹のダイジなものがあるんだぞ!」
その子をたしなめると共に、別の場所に移動させてくれました。
イイネ、コドモタチノコンナカンケイ…。
子どもたちはこうした点をつなげながら、今を生きています。
2009年5月25日
プロとして、しかし…
2009年5月20日
ナイス、集中力!
2009年5月17日
雨男は…
ところで、数年前はEちゃん指導員に引っ張られるように高学年登山を行っていましたが、何故かあまり天気には恵まれませんでした。雨の中登山?私などはすぐに日和って「ヤメッ!」と思ってしまいますが、しかし天気が崩れるとわかっていてもEちゃん指導員はお構いなし。カッパを着用し頂上を目指しました。雨の中を山に登る・・、これはもう本当に貴重な体験です。
さて、こうした登山の時、サポーターとしてよくT(父)さんやM(父)さんがつきあって下さっており、お互いを
「雨男だ!」
と糾弾しあっていましたが(^^ゞ、やはり雨男は私なのかなぁ(×_×)。
百々ヶ峰は、もちろん後日リベンジです!
*雨の登山-もちろん綿密に計画し、体制を確保し行っていました。
2009年5月15日
百々ヶ峰遠足 Part,2
百々ヶ峰遠足
と き:5月16日(土)
《スケジュール》 *通常通り各学童8:00~開所しています-
9:00 出発
*地下鉄(東海通→金山)・JR(金山→岐阜)・岐阜バスを
のりついで出かけます。
11:00 ふれあいの森・着(百々ヶ峰の麓です)
百々ヶ峰へ
12:15 山頂着~昼食・休憩~
13:15 下山
14:15 ふれあいの森・着
16:30 学童・着
18:00 閉所 *お迎えは中川学童までお願いします-
《持ち物》
□お弁当 □おやつ(200円分)
□水筒 *500mlのペットボトルも一本余分に持たせて下さい。
□雨具(カッパ・折りたたみの傘、どちらでもOK)
*万が一の時は林道(東海自然歩道)を歩くので傘でもOK
□お出かけセット(敷物・ティッシュ・ハンカチ 等)
《服装・その他》
□帽子は必ず!また、長ズボンで!
□荷物は必ずリュックサックに!
□交通費として1,100円かかります(後日徴収)。
《登所に関する注意》
□中川へ直接登所される皆さんは、必ず 9:00 までに登所してください。
□港楽へ登所される皆さんは、必ず 8:45 までに!
9:00までに中川へ移動します。
*雨天時はプログラムを変更します。
Part,1で百々ヶ峰山頂へのルート、結構多彩…と記載しましたが、今回、7年前とったルートとその他を実際に歩き比べてみると、ナント、7年前歩いたルートは一番キツいルートでした(^^ゞ。当時なんの疑いもなくEちゃん指導員についていきましたが、改めてEちゃん指導員のパワフルさに脱帽。7年前のその時は4人の障がいをもったお友だちも引率していたので、今更ながら「みんながんばったなぁ…」と。
ところで、そんなEちゃん指導員ですが、彼女は豪快・豪傑・奔放(#^.^#)!でありながら、人情あつく誰からも慕われるステキな指導員さんでした。そしてそんな彼女はダイナミックな保育プランを色々と提案し、先頭にたって実践してくれました。高学年合同登山ということで、夏休みに一泊で白山や木曽駒ヶ岳へ出かけたことは忘れられない思い出です。
このところ保育は良きマンネリズムの中にあるので、今年度は子どもたちに魅力ある時間を提供できるよう、一工夫して行きたいと思います。
《7年前》
http://lovekids-dream.com/_userdata/tedanofa_2003_no113
http://lovekids-dream.com/_userdata/tedanofa_2003_no114
オマエに、言われたくな~い!
「塾へ行く途中?」
と尋ねると、
「いや、なんとなく気になったから…」
と(#^.^#)。そして、そのそのS一郎ですが何故か私のことを気遣ってくれていて、在所してる時塾から帰る時に学童に寄り、事務をしている私に、
「シャリバン、たまには早く帰らんといかんよ!」
また、ある時は、
「シャリバン、がんばってね。でもやりすぎはいかんよ。ボクみたいなのはダイジョウブだけど、シャリバンはバッタ~ンって行くタイプだから」
と、まるでオヤジKids!
さて、先日も保育中に顔を出したS一郎。帰る前の時間であったため、自由あそび時間を切り上げ集団保育に移ろうと、外であそんでいる子に、
「さぁ、みんな中に入って!」
と声をかけるとK樹が憮然と
「エーッ、Y斗、今外に出たばかりだよ(自由あそびができなくてかわいそうだよ!)」
そう、それまで宿題をずっとやっていたY斗は、少し前に外へ出たばかりです。そこでK樹に
「わかった、じゃぁ、あと10秒ね!」
と言うと、K樹は当然、
「エーッ!」
「わかった、わかった、じゃぁ、あと11秒ね!」
すると、K樹とのやりとりを聞いていたS一郎、プッと吹き出しながら、
「シャリバンも、進歩していないね!」
「……」
こうしたエピソードからもわかるように、S一郎はKYなところは多々あるものの、憎めない誰からも慕われる子です(#^.^#)。ですから、中学になって彼の顔を見ることができない毎日は、何か寂しいものがあります。何が一番寂しいかって…、それは相棒指導員・ミッキーと、
2009年5月11日
百々ヶ峰遠足 Part,1
2009年5月10日
お家の人へのプレゼントづくり(今日は母の日)
2009年5月8日
Thanks!
随分遅い時間なのに学童に顔を出してくれたKさん「(指導員)25周年だって?おめでとう。(ウィスキーの)25年物じゃないけど、こんなことしかできないけど、25度で…」と、お得意のウイット(他の方からは、単なるオヤジギャグと呼ばれている(^^ゞ)を口にしながら、25度の焼酎セットをプレゼントして下さいました。
そう、この7月1日で私の指導員生活も丸25年!
今、私がここに居ることができること、それは今まで出会ったすべての皆さんのおかげです。皆さん、本当にありがとうございます。
そして、温かなお心遣い、Kさん、ありがとう。これからもウィット愛好家として、世間の冷たい視線にめげず、共に頑張って行きましょう。
4月父母会では…
4月25日(土)の父母会でもサプライズが…。
父母会からもステキなお花をいただきました。首謀者であろう(#^.^#)、Uさん・Hさんはじめ保護者の皆さん、本当にありがとうございました。