2011年12月19日

カリーナの林檎~チェルノブイリの森~

 先週末、首相が今回の原発事故について収束宣言を出したが、片方では廃炉には30年かかると言われているのに、いったいこのことのどこに信憑性はあるのだろうか。17日(土)の朝日新聞朝刊には『真の困難今から』との論説にあり、そこには「事故処理には数十年、100年の時間がかかり、生活を簡単に奪ってしまう」とあったが、一度事故が起ると一個人の一生ではとうてい見届けることができない事態に陥るのに、そんな原発がこの狭い国土の中に54基もある…、これはもう異常である。
 しかし、一番の問題は原発問題に対してこれまで警鐘を鳴らしていた方達が居たのにも関わらず、私を含め多くの人が真摯に向き合ってこなかったことである。
 こうした中、二週間前・映画『カリーナの林檎~チェルノブイリの森~』を観た。監督に対しては様々な所見があるが、この作品は、ぜひ多くの人に観てもらいたい。映画は全編を通し、淡々と流れているが、そのことを日常生活と重ねるとそれがどれだけ大切なことなのか?当たり前のように朝がきて、自分の大切な人と「おはよう」の挨拶を交わす。しかし、それはいとも簡単に壊れてしまう。

 「チェルノブイリには悪魔のお城があって毒をまきちらしているんだよ」
 「かみさまはどうしてあくまをやっつけてくれないんだろう…」
と、カリーナはみんなを助けるために悪魔のお城へ(公式HPより)。

 これ以上、悪魔のお城を増やさないために、今、私たちが行わなければならないことは?
 学ばなければならない、そして、具体的な行動に-。私たち一人一人がカリーナになってお城に向かうことで、きっと何かが変わるだろう。…いや、変えなければならない。 

2011年12月15日

生きているということは

タイミングを逸すると、
なかなか更新できなくなってしまうHPとこのブログ。
前回更新時から約3週間、
この間には色々な事があり、
伝えたいこと、伝えなければならないことは
たくさんあるのだが、なかなか。
定期的に行うことができない原因の一つが飲酒(^_^;。
HPなどの更新は夜間しかできないので、
どうしてもこの飲酒は妨げに。

しかし、できないことをできないと言っていても、
また時間だけがいたずらに過ぎるだけなので、
今日は他人の力を借りて、先ずはとにかく更新!

毎月、近所の企業が社報をポスティングしてくれる。
そこには珠玉の言葉が掲載されているが、
今月は、永六輔さんの詩が。

『生きているということは』

生きているということは誰かに借りをつくること
生きているということは
その借りを返していくこと
誰かに借りたら 誰かに返そう
誰かにそうしてもらったように誰かにそうしてあげよう
生きていくということは誰かと手をつなぐこと
つないだ手のぬくもりを忘れないでいること
めぐりあい愛しあいやがて別れの日
その時に悔やまないように今日を明日を生きよう
人は一人ではいきてゆけない
誰も一人では歩いてゆけない

いい詩だ。
しかし、怠惰な生活を送っている者は
顔を覆いたく…。

頭の中を駆け巡る自分自身の品位を貶める、
様々な雑念。
この詩に出会えたことに感謝し、
そんな雑念を振り払い、今日の一日を始めよう。

この詩を読んでいたときのBGMはセリーヌ・ディオン
特に1曲目はBest Match!

今、私がここに居ることのできる借りは、子どもたちに。
さぁ、今日も子どもたちが「楽しかった」と思える、
そんな一日に。

2011年12月5日

そんな町を

 昨日、名古屋市学童保育連絡協議会(以下「市連協」)の30周年を祝う会に出席しました。
 日頃の内容が濃くレベルの高い活動を考えると、もっと長い歴史があるように感じられますが、このようにとらえるとまだ30年なのですね。
 今、名古屋市の学童は市から助成を受けて運営していますが、その助成制度を守ることができているのは、市連協があればこそ。そしてそれを支えている専従者はじめ役員の皆さんの地道且つ精力的なご活動があればこそ。
 なかなか市連協役員を選出&派遣できない港区としてはやぶ蛇かもしれませんが(#^.^#)、市連協をつくられてきた諸先輩方、そして現役役員の皆さん、本当にありがとうございます。
 さて、その30周年を祝う会では当然アルコールもあり、名古屋の学童の歴史をかみしめている中気分も好くなってきたので、飛び入り参加させていただき『そんな町を』を歌いました。
 学童保育運動を通して『そんな町を』つくらなければならないと思います。
 ン?『そんな町』があるのなら、きっとそこでは教育・福祉が充実して…、どっちが先?現状を見れば、やはり『そんな町』は一人一人の想いと具体的な行動で創って行くものですね。


そんな町を


【作詞】きたがわてつ
【作曲】きたがわてつ


1.ひとりひとりの 力は小さいけれど
  みんなでよせあえば 大きな力になるさ
  ※君とぼくの 生きている町
   夕日のきれいな町
   よびかけ合えば 笑顔がかえる
   そんな町を


2.ひとりひとりが 心に光を持って
  道は暗くても みんなでてらしあおう
  ※ 繰り返し


3.ひとりひとりの ささやかな願いだけど
  ひとつに寄せ合えば 大きな希望になるさ
  ※ 繰り返し


4.どんな時でも 人間らしく生きよう
  そんな思いを みんなであたため合おう
  ※ 繰り返し

2011年11月26日

アンダンテ~稲の旋律~


 週休の今日( 11月26日・土)、お昼に義母のお見舞いに行き、午後は実務、そして会議準備を…と,思っていましたが、Twitterの“映画『アンダンテ』上映&原作者•旭爪(ひのつめ)あかねさん講演会は、 11月26日 13時〜映画 15時〜16時 講演名古屋市•伏見ライフプラザ5F、1200円(協力寄付金含)。不登校、ひきこもり、若者支援、子育て支援、家族の在り方、どう生きるか等、興味ある方は是非。 ”のこのツイートに、急きょ、予定を変更。映画『アンダンテ』を観に行きました。
 パワポがうまくリンクしないなど、会議の方はグダグダになってしまいましたが(..;)、この選択は大正解!鑑賞後、静かな感動で満たされました。
 それは、すべてのシーンが自然で、また淡々と流れているようだがキャストの優しさと温かさが一貫して全編に。TVをつけると激しいアクションシーンや、驚くようなCGを使った映画の宣伝が次から次へと流れていますが(そんな映画も私は好きですが(#^.^#))、このような映画の情報は意識していても素通りして行ってしまうので、今回は本当にラッキーでした。
 では、この映画は…というと、これは実行委員会形式で上映会を行っているので、以下、実行委員会発行のパンフから抜粋します。
 「この映画は、現在の混沌とする時代に、それぞれの生き方の中で、転機に立つ現代人の葛藤と再生を描く、人間再生の物語です。
 不登校・引きこもりで悩み苦しんでいる人たちに“だいじょうぶ。転んだって、いいんだよ。”というメッセージを送ります。」
 この映画が実行委員会形式で上映されたことについては前述しましたが、その加盟団体はフリースクールや若者を支援するNPO法人などで、その加盟団体数は26団体。身近にこんなにも多くの団体があり、子どもたちや若者を支援していることを知らなかったこと、恥ずかしい限りです。
 同時にこの映画は、日本の農業がおかれている実態にも切り込んでおり、食についても考えさせられます。今、TPPがクローズアップされていますが、これを論ずる方達には、先ずはこの映画を観て!と。
 さて、私が本作で印象に残ったのは、風に揺れる緑の稲穂です。そしてその稲穂が収穫前の黄金色になり、そこでヒロインがパッフェルベルのカノンを奏でるシーンには熱いものがこみ上げてきました。偶然出会った人々の温かさの中で、それまでのカラを自ら破り新しい人生を歩み始める主人公。人はやっぱりどんなことがあっても人とつながっていかなければならない。そんなことを改めて考えさせられました。
 多くの人に観ていただきたい、勧めたい一作です。

 ところで、ヒロイン・藪崎千華を演じた新妻 聖子…、知りませんでした。ラストで緑の風の中でテーマソングを歌うのですが、その時初めて“歌手でもあったんだ”と。
そんなヒロインに代表されるよう、キャストは全員がはまり役でした。
 機会があれば、ぜひ皆さん、お出かけ下さい。
 最後に、今回は伏見の会場で上映されたので、帰りは大須商店街を通り抜け地下鉄『上前津』駅まで歩きました。この界隈を歩くなんて、立ち寄るなんて、もう15年ぶりぐらいでしょうか?
余談ですが、そこで見つけて食べた李さんの台湾名物屋台の台湾唐揚げ、美味しかったです。
 ここで油を売らず、会議準備をしなければならなかったかな?
 いつもの、週休であって週休でない(^_^;、しかし実り多い一日でした。

2011年11月24日

学童保育所指導員から市会議員へ!

先ずは、おめでとう(#^.^#)!
 以前このブログ内でも紹介させていただいた、学童指導員から栃木・大田原市市会議員へチャレンジした星くん11月20日(日)の投開票で当選!しかもトップ当選。
 これは本当に素晴らしことです。彼の純粋な想いが多くの市民の皆さんへ届いたのですね。学童保育、そして子どもたち生活を通して見た社会、そして政治。
 そうなのです、やはり私たちの暮らしは政治と深く結びついています。私たちの未来を担う子どもたち、そんな子どもたちがイキイキと夢と希望をもって生きていくことができる社会にするためには、政治を変えなくては…。
 私の好きな教育学者の一人・秋葉 英則氏。氏の講演では、中盤になってくると、決まって、
「だんだん、子どもたちの想いがのりうつってきた」
と、顔を赤らめ怒り顔で
「世直しをせんと、いかん!」
と、激しい口調で話されていましたが、本当にその通りだと思います。

 さて、星くんですが新人議員としてこれから学んでいかなければならないことがまだまだたくさんあると思います。また、きっと立ちはだける大きな壁も。

 君なら、きっとできる!
全国の仲間も応援しています。
初心を忘れず、がんばって下さいね。

2011年11月22日

ジャッキー・エヴァンコ

my iPod(listen to walking)

 
 私の好きなアーティストの一人デイヴィット・フォスターのアルバムで知った、ジャッキー・エヴァンコ。もうこれは奇跡、カンドーです。11歳の少女が…。
 皆さんのコレクションに、加えていただいても損はありませんよ(#^.^#)。

2011年11月17日

その視線の先には

中川学童通信『てだのふぁ』№96より 

 穏やかな秋の一日、先日はいい運動会でしたね。
そんな中、私はいいシーンをたくさん観ることができましたが、皆さんはいかがでしょうか?次の瞬間は、これはきっと私しか目撃していないシーンなので、幸せのお裾分けをしますね(笑)。

 今回、成績はというと、準優勝!という8チームぐらい出ていれば素晴らしい成績でしたが(笑)…。こうした中、最後のリレーを制した女子チーム。ゴールテープをきった当知学童の6年生・Mちゃん、ひとしきり当知の女の子同士で喜びを分ち合うと、彼女を先頭に当知の女子が中川からリレー選手で出場していたM喜・M可・A子のもとに駆け寄り、
「ありがとうね」
と一言。そして、飛びっ切りの笑顔で、
「みんなが、がんばってくれたから(一位になれたんだよ)…、ありがとう」
と。これは思わず時間を止めてしまいたくなるような、ステキな光景でした。本当はここで一緒に写真を撮ることができれば良かったのですが、残念!

 ちなみにそのMちゃん、お母さんが合同運動会実行委員なので、実行委員会についてきたときは、奥部屋で他学童のちびっ子たちの保育も(笑)。だから、実行委員会・開催案内メールに対して、他学童のお母さんから次の返信がありました。
「また親子で参加予定ですので、よろしくお願いします。どうやら、子どもたち同士も親交ができているような…。(子連れで会議に参加すると)帰りが遅くなってしまうので、翌日が心配でしたが、楽しい時間を過ごしていたみたいです」

これが学童力で、学童は違えども、
まさに昼間の兄弟です。

 さて、今回の私のイチオシシーンは、上の写真です。
この時の皆さんの表情、そして笑顔は、お一人お一人が本当に優しく、やわらかく…、その視線の先には6年生のパン食い競争が。
 合同運動会前日、三宅島の練習が終わった時、Y斗のお母さんから、
「お話があります」
と。こんな時は何だろうと本当にドキドキします。そんなお母さんのお話は、
「(6年生だけど)パン食い競争に出られませんか?」
というものでした。
「…」
一瞬言葉につまり、きっとその時は目が点になっていたであろう私に、お母さんは続けます。
「うち、一年生の後半に(中川)学童に入ったでしょう。だから『パン食い競争』に出ていないんです。もちろん、わがままだってわかっています。でも、この子をオンブできるのは、もうあと僅か…。きっとこれが最後のチャンスだと思うんです」
このお母さんからの思いがけないお話しに、6年生が人前で母にオンブしてもらうなんて、思春期まっただ中の男子が、特に、今頭の中は○ッ○なことなどで溢れているY斗が快諾するとは思えないので、
「そうですか…、でも本人が嫌がるんじゃないですか?」
すると、
「あの子、やるって言ってくれたんです」
「そうですか…」
しかし、どうしても1年生にまじって6年生がパン食い競争に出ているシーンは想像できないので、しかし、お母さんのすがるような眼差しに、
「わかりました。でも私の一存では決めることができないので、相談させて下さい」
 ソウダン…。とはいうものの、きっと途中入所で1年生種目の『パン食い競争』を経験していない子は他の学童にも居るだろうし、このことは実行委員会で論議することでもないだろうし、相談させて下さいといったものの、この時は、“誰と”“いつ”相談するのかも含めて、具体的な方策はありませんでした。
 「ダメだったらダメでいいんです。でも今お話ししておかないと、伝えるときがないので…」


 もしかしたら、こうしたY斗のお母さんの想い、わがままだと思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、Y斗の生い立ち、そして運動会当日にも紹介しましたが、入所した学童が1年生の秋に閉所し(8月には機能していなかった)中川学童に遠方から通い続けたこと、3年ぐらい前でしょうか、お母さんが手術・入院されたことなど…、お母さんのお気持ちは痛いほどわかります。


 最初は両手の手のひらの上にのっていた我が子。やがて一人で歩き始め、でもオンブもダッコもできた我が子。いつの間にかそんな我が子が親の身長と体重を追い越し、いつしかオンブやダッコすることもなくなり、逆に、何年先だろう?我が子に背負われる日が来るのは…。
 ここ数年、閉会式終了後、多くの学童が集合写真を撮っているので、片付け開始までにブランクタイムがあります。そこで当日!突然の提案であったものの、皆さん、ご協力ありがとうございました。即席のゴールテープまでも用意して下さったんですね。
 やわらかな午後の日差しの中、Y斗もT貴も、そしてS木さん、H井さんも本当に嬉しそうでしたね。そしてそんな4人を見つめる皆さんの笑顔、これもまた本当にステキでした。

   6年 Y斗
 学童合同運動会では、母さんが、ずっとオレと、きょうぎに出たいといっていたので、最後のパンくいきょうそうができてうれしかったと思う。リレーでは全力で走ったのできもちよかった。


 その視線の先には、きっとまた、今までよりも強くつながったみんなの想いがあることでしょう。


 合同運動会に参加された皆さん、本当にお疲れ様でした。
 実行委員長の大役を担われたO矢さん、そして実行委員のO賀さん、ありがとうございました。
さぁ、次は大地の舞で子どもたちの輝きを確かめましょう。
全力で走ったというY斗、早かったですね(#^.^#)。
もしも~は禁物ですが、第一コーナーで接触し、
アウトコースへはじき出されなかったら、男子チームも勝っていたかもしれませんね。
 

2011年11月3日

Good Time,Good Friends!Part,2

  忙しさにかまけてなかなか発信できなかったことを、今日は。
学童保育、ここは出会いの場。子どもたち、トーチャン、カーチャン、そしてなかま…。
 私が勤める中川学童、優れた力をもつ常勤パートさんはじめ、教職や保育士を目指す学生さんが、アルバイトやボランティアとして支えてくれています。
 みんな、ありがとう(#^.^#)!

Good Time,Good Friends!

【写真】過酷な(^_^;学童の夏休みが終わって。お疲れさま会。



 

2011年11月1日

Good Time,Good Friends!

 止ることが許されない列車に乗っているような毎日。そんな中で開催地を転々とし、年に一回、全国の学童保育関係者が集う全国学童保育研究集会(以下『全国研』)への参加は、自分へのご褒美かな?と思っています。
 そして私は神奈川で開催された全国研を機に、相棒指導員の皆さんの協力を得て、ここ数年は開催地でもう一泊余分に宿泊しています。
 さて、その全国研ですが、やはりこれは何度参加してもいい!元気がもらえます。
 全国研の何がいいかって?
それは学びはもとより、ここには出会いとカンドーがあるからです。初日・全体会、二日目・分科会で構成される全国研。その二日目の分科会、今回私は増山先生・講師の第16分科会に参加しました。その道の方ならご存知かもしれませんが(#^.^#)、私が勤務する中川学童保育所の基本保育方針は~あたたかく やわらかく ゆったりと~で、これは増山先生の同名の著作から転用させていただいています。
 …にも関わらず(^_^;、直接 増山先生のお話しを聞くのはこれで2回目でしたが、良かった!本当に良かったです。不惑を過ぎたのにもかかわらず日々悩みながらの実践ですが、自分が行っていること、大切にしていること、このことにあらためて確信をもつことができました(このことのサワリにつしては、当HPで公開しているのでご参照下さい)。
 これは学び。そして全国研の醍醐味の一つである出会い…。
 今回はTwitterでつながった、北海道のK子ちゃん、そして栃木大田原市の星くんと交流することができました。
 今回出会えた一人、27歳の青年 星くん。彼は塾で講師をしながら学童保育所指導員を続けていて(私も若かりし頃は新聞配達をしながら指導員をしていた時も)、そして今、ナント!子どもたちとの生活の中から市政を見つめ11月20日(日)に投開票される大田原市市議選に立候補する予定で準備を進めています。
 昔は…、なんて始めると実にオヤジくさくKY的にとらえられてしまいますが、昔は(^_^;私も政治には無頓着でした。しかし、人と、子どもと接する仕事をしたい…と、学童保育の右も左もわからずこの世界に飛び込んだ中、色んなトーチャン・カーチャン、そして“なかま”と出会う中、私たちの暮らし、そして子どもたちが生活する環境、さらには未来を考えると、20代中盤になって、やっと今の政治を何とかしなければ何も変わらないことに気づきました。
 星くんのチャレンジ、エールを贈ると共にみんなで応援したいですね。
 そしてK子ちゃん、彼女は学童育ちの元・学童っ子で、今、自分が通っていた学童で指導員としてがんばっています。ステキですね。
 といったところで、K子ちゃんと星くんの真ん中にいるオヤジ(#^.^#)、彼は学童一年目の中川学童のオトーチャン。彼もまた学童入所(娘が)一年目で、イキナリ!名古屋市・港区区連協会長に上り詰めるという希有な御仁で、nice guyです。

Good Time,Good Friends!

 最後になりましたが今回のカンドー、それは何と言っても、全国研の歓迎行事。全国の仲間を一生懸命迎えてくれた子どもたちです。そしてそれを組織された指導員の皆さん達たちです。
 石川県連協の皆さん、ありがとうございました。

 おっと、忘れちゃいけないとっておきのカンドー(#^.^#)。
もしも試された方がいらっしゃったら、ぜひご連絡を!

2011年9月23日

The Last Weekend

 さぁ、今から6年ぶりの浜省のコンサートへ。
前回、My First Loveの時には「君と歩いた道」で、思わず涙。今回はどんな仕掛けと、映像が?
 ところで、今回は会場へ行き、チケットを引換えるまでは席がどこなのかはわからず…。これも楽しみである。
 18:00~3時間30分、燃えます(#^.^#)!



2011年9月11日

9・11から10年、3・11から半年の今日が終わる前に-

                       
 私の悪いクセの一つ、それは私の好きな物を人に押しつけることです(#^.^#)。好きな物…、その多くは絵本とCD。さて、そんな私の押しつけ、最近はPhotoBook『最後だとわかっていたなら』です。
 もし、明日が来ないとしたら…。明日どころか、それはもしかしたら1分、一秒先のことかも…。そんな中、今日、私は精一杯生きたのだろうか?誠実に身近な人に関わることができたのだろうか?
 今、ここに生きていること、きっとそれはあたりまえのことではないのだろうけど、日々の生活の中ではなかなか意識できず、今日も変わらず焼酎を片手に。
 さて、自虐はこのぐらいに留めて、先日、このPhotoBookに重なるステキな曲に偶然出会ったので(遅い(^^ゞ?)、紹介します。
 かりゆし58『オワリはじまり』これは絶品!そしてここから何を学ぶか、具体的に行動するか?さぁ、明日は今日よりもいい一日に。

オワリはじまり
              作詞 前川真悟
              作曲 前川真悟

もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい
親友と語り合ったかい 燃えるような恋をしたかい
一生忘れないような出来事に出会えたかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい


夕飯時 町 人いきれ「ただいま」と「おかえり」の色
せわしない 木漏れ日 花びら「おはよう」と「さよなら」の音
ありふれた日々が 君や僕の胸に積もって光る


もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい
親友と語り合ったかい 燃えるような恋をしたかい
一生忘れないような出来事に出会えたかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい


今 動き始めたものや もう二度と動かないもの
今 灯り出した光や 静かに消えていく光
この夜の向こうで 新しい朝が世界に降り始めている


旅立ちの時はいつだって少し怖いけど
これも希望のかたちだってちゃんと分かってる
思い出に変わるのはきっと最後の最後さ
笑って「さよなら」を言えたらいいな


またすぐ明日に変わる 忘れてしまっていないかい
残された日々の短さ 過ぎ行く時の早さを
一生なんて一瞬さ 命を燃やしてるかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい


もうすぐ今日が終わる もうすぐ今日が終わる
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい

 もうすぐ今日が、9・11から10年、3・11から半年の今日が終わる前に-。




2011年6月23日

沖縄 慰霊の日に

 中川学童保育所の特長の一つとして年平均130~150号発行している、学童保育所通信『てだのふぁ』をあげることができます。つまりこれは一週間に3号発行していることになり、こうして考えると結構大変なことですが、一番には日々の子どもたちの様子を“伝えたい!”という欲求に駆られて続けています。
 同時に、このことはこれまでも述べてきましたが、私は学童保育所の生命線は、子どもを真ん中にした親と指導員の“共感”だと考えており、そのための一つのスツール、これが中川学童では『てだのふぁ』なのです。
 てだのふぁ…、きっと知っている方は知っている言葉なのではないかと思います。なぜ通信名が『てだのふぁ』なのか、この通信にどんな想いを込めたのか、このことを毎年春先に通信に掲載します。

-以下、中川学童保育所通信『てだのふぁ』2011年度№39より-
 皆さんのお手元にお届けしている学童通信『てだのふぁ』-      “てだのふぁ”というのは沖縄の方言で“太陽の子”という意味です。
 そしてこれは児童文学者・灰谷健次郎氏(故人)の著作『太陽の子』から転用しました。
 人との出会い、音楽・映画・本との出会い‥など、人生の中には様々な出会いがあります。そして、そんな出会いによって自分が大きく変えられることや、物の見方が大きく変わることってありますよね。私にとって灰谷文学は、そんな大きな出会いでした。
 『太陽の子』の中で、主人公のふうちゃんが担任の先生にあてた手紙に
「知らなければならないことを知らないでいるような、そんな勇気のない人間にはなりたくはない‥」
というそんな一節があります。そしてふうちゃんは勇気をもって、自分につながる人の歴史をたどって行きます。私たちの生活の中には、権力によって意図的に知らされないでいることや、歪められてしまっている事実-、知らされていない歴史、そんなことが本当にたくさんあります。
 私が出会う子どもたちにも、ふうちゃんのように考えることができるような、そんな子に育ってほしい‥そんな願いを込めて命名しました。 もちろん、子どもたちの前に、先ずは私たちが学ばなければ、そんな視点を持たなければなりません。子どもたちは身近にいる大人に憧れをもって成長します。私たち自身が、子どもにとっての良き模倣者でありたいですね。
 
 さて、「ありったけの地獄を集めた」(米軍報告書)という戦いに20万人を超す命が消えた沖縄戦(以上、6月23日付・朝日新聞『天声人語』より抜粋)。今日、沖縄は66回目の「慰霊の日」を迎えました。しかしそんな沖縄のことを、私は名古屋に出てくるまで、そして大学で沖縄出身のクラスメイトに出会うまでは知りませんでした。
 20代半ばだったでしょうか、初めて沖縄に行き南部戦跡巡りを行いました。そしてこれもまた初めて入ったガマ(洞窟)で、ガイドさんの合図で参加者が一斉に懐中電灯を消したときの漆黒の闇。
 その暗さ…、それまで経験したことのないものでした。この中で、死人もいる横で赤ちゃんからお年寄りまでが身を潜めていたとは…。そのときの衝撃、いまでも忘れることができません。
 そして、こうした歴史の事実、きちんと伝えていかなければならないと思います。

 ところで、子どもたち全員を満遍なく均等にこの通信で紹介したい‥という想いはあるものの、どうしてもその時々のトピックス(ドラマ、事件など)や“旬の時”(お子さんが大きくかわる時)を迎えた子どもたちの話題が中心となってしまう傾向があり、我が子の名前が何号に渡っても見当たらない!なんてこともあるかもしれません。しかし、自分のお子さんのお名前がなくても、他の子の様子にもぜひ注目してください。学童っ子みんなを我が子のように見ていただくことができれば‥と思います。子どもたちの成長の速度は一人一人違います。 “旬の時”は、必ずみんなに訪れます。


 しかし、皆さんの想いと私たちの想いがズレているのでは?ということを感じられた場合は、5月父母会では通知表の取り扱いを例にお話しさせていただいましたが、遠慮されずそのときにお知らせ下さい。

 さぁ、一緒に子どもたちを見守って行きましょう。

 さて、『てだのふぁ』ですが、第1号発行は1984年10月。足かけ27年、この4月に通巻3,000号となりました。保護者の皆さんから卒所されるときに
「1年生の頃からのもの、ずっと取っておいています」
の言葉や、また、日々の
「この前、『てだのふぁ』に○○○○○○○○○○○○のことがのっていたね」
などのキャッチーボールの様な言葉に励まされてここまできました。号数を重ねればいいというものではありませんが、また、NPBの名球会入りを目指しているわけではありませんが(^_^;、私の目に映る子どもたちの姿をできるだけ伝えて行きたいと思います。
 ところで、私が通信発行を始めた頃は(通信名が『てだのふぁ』になる前)、ナント!学童からの発行物はガリ版でつくっていたのですよ。今なら修正は簡単ですが、当時は下書きをした上で、コリコリ…と。字を間違えると修正液で修正し、再びその上から。そして印刷は手を真っ黒にしながらローラーを回して一枚ずつ手刷りで…。
 しばらして、学校に勤めている保護者のルートで廃棄処分の輪転機が入った時は、もう涙、涙!でした(#^.^#)。それが今はパソコンとレーザープリンター。いやぁ~、時代は変わりました。
 そしてその時代はこれからも変わって行くことでしょう。しかしどんなに時代が変わっても、どんな時代になっても変わらないもの、それは人の命の重さです。
 みんなの命が大切にされる、そんな社会に、世界にして行きたいですね。…なんて、大風呂敷は広げられませんが(^_^;、今やっていることを精一杯やることで、きっと、ここから何かが生まれ育ち、そしてそれは社会を変えて行くための、小さいけれど大切な一つの力に。


 命どぅ宝。沖縄、慰霊の日に…。

灰谷健次郎氏の『太陽の子』は、
学童を卒所する子どもたちにプレゼントしています-
 

2011年6月20日

二つの出会い

 昨日、6月20日(日)の休日は充実していた。
 先ず、午前中は朝日新聞社とベネッセが主催する『語彙・読解力検定』にチャレンジ!この検定に向けてテキストは購入したものの目を通したのは前半部分だけ。おまけに前夜 父母会役員会があり、その後はお決りの午前様(^_^;。
 こうした中での検定だったので、どうなることかと思いきや、入門編?である準2級の検定であったため、なんとかそこそこにはできたのではないかと…。この検定がどういった内容かというと、『語彙・読解力検定』というものの、「八面六臂の意味は?」「FTAは何の略称か?」といったある意味一般常識問題+それに朝日新聞『天声人語』を使っての国語のテストといった感じ(Sample ←良ければ、チャレンジしてみてくださいね。ちなみに、今回わからなかった語彙はレーシック。勉強になりました)。
 そしてこの検定、どんな方が受けたか?というと下は中学生らしい女の子から、70代といった感じの男性まで、老若男女様々。そんな中での久々の試験、マークシートなんて本当に何年ぶりだろう?最初は多少緊張したが、楽しい時間であった。
 検定後、会場であった朝日新聞社・15階ホールロビーからスタバを飲み名駅方面を眺めながらしばらく休憩。それから最初は栄えまで歩きそこから地下鉄に乗る予定だったが、何か感じるものがあったのか、矢場町まで足をのばす。するとそこで偶然にも二つの出会いが!
 正確には一人と一つの物に。
 矢場町から地下鉄に乗ろうと久屋大通り公園・光の広場を見ると、催事場テントなどが並びステージの上にはスピーカーが。そこで特にこの日は急ぐことはなかったので、屋台で生ビールでも飲んでから帰ろうと(#^.^#)、どんなイベントなのかもわからず会場へ。
 そこでは『ズナマ歌謡祭』がまさに始まらんとするところで、今でもこのイベントが何なのかよくわかっていないが、それはおそらく私の生活の中では、これからは交わることのないような雰囲気の中に-。
  しかし、ここで子どもたちを守るために原子力問題、そして放射線のことを“あかいつぶつぶの絵”を描いて訴えているというアーティスト柚木ミサトさんに出会った。そんな彼女、この場で絵を描くパフォーマンスを行うのではといった雰囲気があったので、色々お話しを伺う。あるイベントでは、子どもたちに要らないTシャツを持って来てもらい、その場でそれに絵を描くということを行ったとか。原子力、そして放射線のことは今誰もが関心を持っており、3月11日の震災から復興して行くときにはきちんと向き合って行かなければならない問題だ。
 これから実行委員会が始まる『第31回港区子どもまつり』の中でもきちんと押さえ、テーマなどに盛り込んでいかなければならないと考えていたので、早速 柚木さんにオファーを。現時点ではOKとの快諾を得る。
 ここ2年間の港区子どもまつり実行委員会は、実行委員の皆さん一人一人が主体的に関わってくれており、色々なアイディアが出されると共に実現へ向けて活発な論議を行う事ができている。今回の出会いが新たな創造へ向けてのきっかけになればと思う。
 ところで、もう一つの出会い、それはチーズケーキ(#^.^#)。
実は私、浪人しているとき、バイト先(松本駅前にあった喫茶店)が出していたレアチーズケーキの味を忘れることができず、未だに“美味しいレアチーズケーキ”を追い求めて…。
 さて、このズナマ歌謡祭の会場には数々の移動販売車が出ており、会場をそぞろ歩きしているとき(「そぞろ歩き…この言葉も語彙・読解力検定に出ました)、“幻の味のチーズケーキ”のコピーが(#^.^#)!1,260円、高いなぁと思い、一度その販売車から離れるものの“後悔先には立たず”ではいけないので再度引き返し購入。味は…というと、レアチーズでは無いものの、ベイクドなのにスフレのような口当たりで、また、ベースのクッキーも美味しくハズレではありませんでした。

 二つの出会い…、ここ二週続けて充実した日曜日に。

  

2011年6月15日

子育て川柳

 出口の見えない原発問題、国民不在の中で繰り広げられる政争、そして殺人事件など、新聞を開くと気の重たくなるようなニュースが多い中、今朝、朝日新聞でこんなステキな川柳を見つけました。
初めてが 君と一緒に 増えて行く
 そうだな、そうだったな。君が生まれてくれたから、私は親に、そして父に。そして色んな“初めて”を君から。君がいるから新しい色んな景色も。

 さて、上記の川柳は和光堂が公募した『子育て川柳』の2011年度入選作品です。今回で8年目ということですが、目にしたのは初めて。…といったところで、今日も朝から得した気分に(#^.^#)!
 さて、初めてといえばそれは子どもたちも。
 色んな初めてに出会う子どもたちは、目をキラキラ輝かせてそれらに向かって行きます。そして、きっと今日もまた学童で、
「できた!」
「みて!」
の声が響くことでしょう。
 さぁ、今日も
「ただいま!」
と元気に帰っておいで。

2011年6月14日

Wおひさま効果

 また田舎ネタになってしまいますが、6月の初旬に帰省したときにその人出の多さに驚いたことはすでにお伝えした通り。
 では、いったいどれだけの人が?
 先日、母が地元紙を送ってくれ、それによると3日間のイベントで45,000人が訪れたということで、過去10年で最高の人出だったとのこと(町中で渋滞が起っていたのも、納得)。そしてこれはお天気が良かったこと、そしてやはりNHKの連ドラ「おひさま」のロケ地になったこと、その影響だったようです。
 45,000人…、私の田舎は三つの地区からなっていますが、今年度の人口は約2,800人なので、ここからもその人出の多さを伺い知ることができます。
 ところで、私が生活していた頃、約40年前の子ども時代の人口は約6,800人だったので、いかに過疎化が進んでいるか。これは考えても仕方の無いことですが、胸が痛みます。

《写真》駅前でシャトルバスを待つ人たち。

2011年6月13日

初体験二つ

 早速ですが、このイラストの主はだれでしょう?そう、…私、シャリバンです(#^.^#)。昨日は初体験が二つ!
 その一つは、いったい何年名古屋に住んでいるんだ?って話しですが、昨日初めてアスナル金山へ行ったこと!
 何故 アスナル金山かというと、昨日、ボストン美術館でパートーナーが習っている華道の作品展があったのでそれを鑑賞するために出かけ、その時 要員を務めていたパートーナーが丁度任務を離れることができたので、
「どこかで休憩しよう」
ということになり、そこで初めてアスナル金山の存在を(^_^;。私にとって金山はあくまでも通過点ですが、いかに行動範囲が狭いのか?余裕のない生活をしているのかが証明されてしまいました。いやぁ~、それにしても身近にこんな施設があったなんて、本当に驚きました。
 そして初体験の二つ目は、生まれて初めて似顔絵を描いてもらったこと。お願いすると愛想も何もないアーティストがただ一言
「こっちの方をみていて下さい」
と言うので、きっと展示されているサンプルのように、アーティストが笑顔の似顔絵にしてくれるんだと勝手に思い真顔で居ると、これまた愛想も何もない作品が。
 では、似ているのか?
パートーナーと娘に爆笑されるかと思いきや、二人とも、
「父さんの特長をよくとらえている」
と、感心することしきり。そうか…、私はこんな顔なんだ…。こんな印象を与えているんだ…。皆さんは、どう思われますか(#^.^#)?


 さて、そんなアスナル金山では、ちょうどJOMOSAのミニライブが行われており、ちょっと得した気分。こうした時間は、悪くはないですね。
 ところで休憩した場所、それはもちろん飲めるところで(^_^;、芋蔵 BAR GIRIという店へ。
 当然ここも初めてですが、店内の雰囲気もよく、それ以上に焼酎の種類が多いので、焼酎好きにはたまらないお店です。昨日は、偶然にもこんな店を発見することができてこれまた得した気分。しかもこのお店、17:00~19:00までは1,480円で飲み放題とのこと。これは呑兵衛にとってはお得!なんてものではなく、昨日を境に、きっとこれから金山は、私にとっては単なる通過点ではなく“腰をすえる”ところ…、“二時間で勝負する”ところになるかも!


 初体験が二つ、昨日はそんな一日でした。

2011年6月11日

学童は“赤ちょうちん”?

 東京のとある学童保育所では、学童を子どもの“赤ちょうちん”と定義していますが、私はその通りだと。そして中川学童の場合、それは子どもだけでなく保護者にとっても(#^.^#)!そう、学童保育所は親子共の“イバショ”なのです。
 先日・22:00、残業後学童を出ようとするとOBのKさんがおやつの差し入れにと産直のトマトを持って立ち寄ってくれました。そこで、
「お久しぶり!」
ということで“赤ちょうちん”に灯が灯りました。そんなKさんと旧交を温めていると、23:00頃“赤ちょうちん”に誘われたのか、まったく飲めないHさんではありますが、
「今、仕事帰りで…」
と暖簾をくぐって(#^.^#)…。
 学童が本当の赤ちょうちんに?もしかしたら不謹慎かもしれませんが、しかし仕事を越えたところで、アルコールが媒介であってもなくても保護者も集うこともできる、オトーチャンも気軽に寄ることができる…、これが学童の(中川学童だけかな(^_^;))良いところかな?
 ところで、受験を控えた高校3年生になったKさんの娘さんAYUMIもよく学童に顔を出し、しばらく子どもたちと関わってくれます。
 そんな彼女は、
「気を遣わなくていいのに…」
と言うのに、毎回必ず
「おやつに」
と、お菓子を差し入れてくれます。
 ところで、学童は『子どもの“赤ちょうちん”』との言葉と定義はとてもステキですが、私もそれに負けず劣らずの学童用語をつくっています。それは『学童DNA』!
 『学童DNA』は何かって?詳しくはコチラをご覧下さい。
 「なるほど(#^.^#)!」
と思って下さったら嬉しいです。
 そうそうAYUMIですが、彼女は『学童DNA』溢れる、まさに学童の申し子、Miss学童っ子!です。 

2011年6月9日

その日の前に

  先週末、田舎へ帰った。特別用事があったわけではないが土曜日休みをとることができたと共に、普段無精であるため顔を見せることだけでも親孝行かな…と。
 そんな帰省、家族と一緒でなく一人で帰るときはJRを利用する。特急を使わないと所要時間は車でもJRでもあまり変わらないが、もともと車の運転は好きではないので、JRでの帰省は気楽であると共に実に快適だ。何が一番良いかって?それはもちろんビール片手(^_^;に本を読むことができるからだ。
 さて、GWに帰省したときにその人出の多さに驚いたが、今回はさらに!観光客の多さはGWの比ではなく、町中は至る所で“ここは名駅?”と思うぐらいの大渋滞。
 私の田舎では6月第一週の週末は『漆器祭・宿場祭』が行われており
「ものすごい人だ」
ということは、帰省する度に母から聞いていたが、まさかこれほどとは\(◎o◎)/!そしてその人出はお茶壺道中が始まる頃には最高潮に。漆器祭・宿場祭は私が田舎で暮らしていた頃からあったが、いつから始まったのか?、地元だというのにお茶壺道中は初めて見た。 過疎化が進む中、色々な工夫が。

 さて、帰りはこれまた初めてナイスホリデー木曽路を使った。通常は中津川での乗り換えが必要だが、これだと乗り換えなしで名古屋へ。町中、そして駅のホームでの人の多さに、“もしかしたら2時間30分”立ちっぱなし…?と、戦々恐々としていたがこれはいらぬ心配であった。車両数も多く、中津川までは私の座った車両には私も含め3人と、まさに貸し切り状態。もちろん片手には缶ビール、もう片手には本。
 ところでナイスホリデー木曽路、乗り換えがない分快適なはずだが、私には一つ大きな問題が。普通列車→中津川から快速利用といったパターンであれば、中津川で泡の出る物を補給できるが(^_^;、しかし乗り換えなしだと補給が…。しかし先日は恵那に停車したとき、
「特急列車の通過待ちで4分ほど遅れます。皆様にはご不便をかけて…」
との車内アナウンス。
 …ご不便?とんでもない(#^.^#)!私にとっては、どうそ、どうぞ。4分で補給とトイレはきわどいな…と思いながらも、F1のピットストップ作業ばりの早さで、無事目的を達成!

 さて、今回の帰省、大切なことを話そうと思って出かけたが、やはり今回も切り出せなかった。母の健康の上に成り立っている、田舎での父の暮らしと私たちの名古屋での生活。
 しかし、やがて訪れる、その日。その日は1年先か10年先か?
もしかしたら、それはこのブログの投稿ボタンをClickした次の瞬間かも…。そう考えると、色々な事をきちんと確認しておかなければならないと思う。
 また、可能な限り一緒に過ごす時間をつくっておきたいと思う。

2011年6月7日

I'm 学童指導員

 指導員の仕事って…?
魅力あるものの、きっと多くの指導員の皆さんが悩みながら、日々働いていることと思います。
 子どもたち、そして保護者の皆さんと心が通ったときの喜び、逆に想いが空回りし心の置き場がなくなってしまうときなど、その魅力や悩み、それは何れも人が相手であることから。
 そしてその仕事の中身も際限がないことも魅力であると共に、これもまた多くの指導員を苦しめていることになっているのではないかと思います。
 さて、そんな指導員の仕事って?
『日本の学童ほいく』誌・6月号に垣内 国光先生が「共感共生労働としての学童保育」という論文を寄稿されていて、指導員の仕事について論じて下さっています。
 指導員の仕事を“ケア労働”として問題提起されると共に、指導員を「余計なことまでしたがる人々」と。「余計なことまでしたがる人々」…、我が身を振り返るとジグソーパズルの最後の1ピースのように、まさにピッタリとはまります(#^.^#)。そしてこの定義は指導員に対しての最大の賛辞なのではないかと思います。
 以前、港区連協20周年記念で三上 満先生の講演を行ったとき、我が身、我が家庭を省みず学童の父母会や連絡協議会の活動にのめり込む人のことを、
「お人好しでおっちょこちょいの人」
とし、そんな
「お人好しでおっちょこちょいの人が、運動をつくり支えている」
と述べられたとき、温かなエールを贈られたと感じましたが、「余計なことまでしたがる人々」にも同じような響きと温かさが。

 さて、前置きがながくなりましたが、日々学童保育の現場で奮闘されている指導員の皆さん、本当にご苦労さまです。
 垣内先生の「共感共生労働としての学童保育」には指導員の仕事についてのヒントがあるとともに、これからのバイブルの一つになることと思います。ぜひ、お読み下さい。
 もちろん、保護者の皆さんも。

 mixiに私が管理人を務める『学童保育-仲間の広場-』コミュもあるので、良ければ、コチラもご参考に。

《写真》8年前の娘。従姉妹達と。

2011年5月22日

東日本大震災 学童保育復興支援

 3月11日は私の誕生日ですが、悲しくもこの日は日本の人たちにとって、いえいえ…日本のみならず世界の人たちにとっても忘れることができない一日になってしまいました。人類の歴史に刻まれるであろう、そんな一日に…。
 未曾有の大災害に見舞われたものの、同じ日本に暮らしながらもここ名古屋では、その日の前と変わらない同じ日が続いていて、そんな中でこのことを考えると本当に苦しくなります。そして「がんばろう日本!」や「(被災された皆さんの)気持ちがわかる、わかりたい…」などの言葉は、時として空虚なものに。
 こうした中、今、私たちが行わなければならないことは?行えることは?
 しかし思っているだけではダメ。具体的な何かを?そこで、今後私が継続的に行う事ができることとして、先日、朝日新聞朝刊で紹介されていたワンコインズサポーターズ、ここに登録します。
 同時に学童保育関係者としてできることは?
ここあいちと名古屋の学童仲間が『東日本大震災 学童保育復興支援えがおプロジェクト』を立ち上げ、本日・22日、現地視察チーム報告会が行われ(写真)、足下が悪い中であったものの多くの仲間がかけつけました。今後、具体的に何を行っていくのかについてはここで提案されていくと思うので、皆さん、ぜひここへのML(メーリングリスト)登録をお願いします。

東日本大震災学童保育復興支援 えがおプロジェクト

2011年5月19日

八日目の蝉

 読んでから観るか、観てから読むか…?いずれにしても良い作品です。
 特に、映画では永作博美さんの演技はすばらしかった。
   よって、オススメの一冊と一本に追加です。ところで、以前は邦画をまったく観なかった私ですが、最近は結構邦画も…。次は『岳』かな?
 
八日目の蝉 (中公文庫)

2011年5月5日

NHK朝の連ドラと観光効果 Part,2

 この町並みが…
NHK朝の連ドラではこの様に…(同じ場所です)。 
 我が実家の前に出ると聞くともなしに聞こえてくる観光客の方の声。
「ここが(中村邸)、あのアメ屋さんか…」
皆さん、朝の連ドラを見ているのですね。
 ちなみにアメ屋になったこの屋敷は、もともとは天保の大豪商櫛問屋・中村利兵衛の屋敷で、ここが重要文化財になる前は私の親戚親子が生活していました(^^ゞ。その後、その親子が引っ越した後、一般開放される前は(今だから言えますが)私たちの遊び場でした。

 ここでは利用料金が200円になっていますが、現在は300円です。

NHK朝の連ドラと観光効果

 今年のGWは一泊二日で田舎に。
 さて、以前このブログで私の田舎が現在進行形で放映されている(2011年5月現在)NHK朝の連続ドラマ『おひさま』のロケ地になったことをお伝えしましたが、その影響、観光効果の大きさにはただただ驚くばかり!
 私の田舎は奈良井宿。国道19号から奈良井川とJR中央西線をわたってかつての中山道宿場町に入りますが、その手前にある冬場はチェーンの着脱場になるような、それだけのピットスペースが駐車場になっていたことから、もしや…?と。そんな予感通り、そう、私の田舎にはこのこれまで見たこともないような人、人、人で溢れかえっていたのです。
 これにはもう本当に驚きました。全国ネットの番組のロケ地になるという効果、このことは本当に大きいのですね。
 ところで、皆さんはこの朝ドラ、ご覧になりましたか?
 …私?通勤とその前の家事に追われ、まだ一度も(^^ゞ。ちなみに私の田舎を使ったシーンが電波にのるのは5月下旬までだそうです。

2011年3月19日

卒業、おめでとう!そして、ありがとう(#^.^#)!

 前回、BlogをUpしたのは2月15日(^^ゞ…。う~ん、忙しかったとはいえ、相変わらず時間の使い方が下手!おまけに飲まなきゃいいのに、そこは削らずむしろ増えているので余計始末が…。
 では気を取り直し、これから少しずつ感じたことを、皆さんと共有したいウレシイ話しなどを少しずつUpして行きますね(どうせ三日坊主!だなんて言わないで(#^.^#))。

 昨日、3月18日(金)は名古屋市市立小学校の卒業式でした。今年、中川学童では一足先に養護学校の卒業式を終えたS香と共に、K心とN詠を卒業&卒所生として送り出します。2005年度入所のこの学年、当時は8名が入所しましたが、その後引っ越しなどもあり学童を“卒所”するのはS香・K心・N詠の3人です。
 学童に6年間在籍するということ、これは手前味噌かもしれませんが、とてもステキなことだと思います。かけがえのないことだと思います。学童に6年間在籍するには子どもの想いだけでもダメ、お父さん・お母さんの想いだけでもダメ。親子の想いがくっついたり離れたりしながらも学童とつながり、学童に親子共の確かなイバショとなれる仲間が居ることで実現できるのではないかと思います。
 さて、そんな卒業式の日、とても嬉しいことがありました。
 中川学童では卒業式の日は式を終えた卒業生と家族が学童に立ち寄り、みんなで記念写真をとります(この情報は近日中、当学童保育所HPにUpするので、ぜひお出かけ下さい)。そんな思い出の時間を過ごし子どもたちが昼食をとっていると(この時間、私は実務仕事)、相棒指導員から、
「珍しい人が(外に)…」
の声。その声に玄関へ出てみると、Y翔とお父さん・お母さんが!
 今年卒業を迎えた2005年度入学&入所のY翔とK家は引っ越しのため、その年の12月で中川学童を退所しました。学童入所時にはすでに転居・転校が決まっていたとのことなので、これは仕方のないことです。しかし、そこがK家のステキなところで、学童退所にあたっては随分悩まれたそうです。入所前と入所後では、学童の印象が大きく変わったとのことで、その時すでに中川学区外で契約していた新居の解約も考えられたとか。
 きっと、お父さん・お母さんは、学童は“ただ預けるだけの場所”ではなく、子どもを真ん中に“人と人がつながっている場所”“放課後のおうち”だと感じられたのでしょうね。
 K家が引っ越し・退所されてから5年、Y翔が中川学童で過ごしたのは僅か9ヶ月だったのに、Y翔とK家にとって大切な日に会いに来て下さった…。とても嬉しかったです。
 久しぶりに会ったY翔はスラッと身長が伸びていて、しかし人懐っこい笑顔は変わらず、Kさんご夫妻も相変わらずお若く(#^.^#)…、久しぶりにお会いできて、本当にうれしかったです。
 Y翔、そしてKさん、ありがとう。
 そして、卒業、おめでとうございます。

《写真》2005年、学童の庭で(猫の額ほどの(^^ゞ)

2011年2月15日

I Do It For You

 まさにブライアン・アダムス!といった一枚。
 アコースティック・ギターとピアノだけでこれだけやってしまうとは。
 これはブライアンのファンでなくても、手にとって損はないAlbumだと思います。車が嫌いな私でも、飲んでいなければ(^^ゞカーステ(もうこれは死語?)に入れてどこまでも走って行きたい気分。
   ところでブライアン・アダムスといえば、I Do It For You 。日頃の行い、行動からは信じてもらうことはできないかもしれないが(^^ゞ、私はいつもこんな想いで。

2011年2月12日

太平洋の奇跡


 公開日にレイトショーで鑑賞。
 さて、その内容だが、戦争について、過去を振り返りその愚かさを考えるきっかけにはなるが、映画としてはどうなのか?私的には良い映画を観た後の余韻がなかった。
 日本兵演じるスキンヘッド&入れ墨の唐沢寿明(^^ゞは不自然だったし、井上真央、中島朋子の役柄も違和感が…