2010年12月31日

「ありがとう」の一言を

 「あそんでいけるの?」
「ううん、ありがとうの一言が言いたくて…」
2010年12月28日、学童卒所生・高2のA実は学童の玄関で穏やかな表情でそう言うと、クルッと背中を返し自転車へ。
 そう、A実は12月24日に彼女の高校の演劇部ミュージカル『アニー』公演に学童の子どもたちと一緒に観劇に出かけたお礼を言いに学童に寄ってくれたのです。
 そのA実の公演、ステージで躍動する彼女に思わず私は涙。高校生とは思えない完成されたステージ、ここまで高めるためにどれだけ練習したのだろう?つくりあげて行く中で、仲間との間でも色んなことがあったんだろうな?
 しかし、それ以上に、中学から高校に進学するにあたっても色んな想いを抱えていたA実のことを知っているから…。

 おそらく2010年今年最後になるであろうBlog発信は、このステキな「ありがとう」の一言を。ちょうど紅白では紅組司会の松下奈緒が「ありがとう」のピアノ演奏、そして“いきものがかり”の歌。

 今年も皆さん、お世話になりました。私につながるすべての皆さんに「ありがとう」の一言を。
 まもなく時が刻まれる新年・2011年もよろしくお願いします。
 
 そうそう、アニーを観たあとでの別れの挨拶は、
「じゃアニー」
…?何だか水嶋ヒロの小説に出てくるダジャレみたいで、年の瀬にスミマセン(^_^;。

★『アニー』は2011年2月19日(土)にも、名古屋市・西文化小劇場でも公演されるので、皆さん、ぜひお出かけ下さい。





2010年12月29日

新年のテーマ

 昨夜、急きょ、そして勢いで決まった学童オトーチャンの望年会(誤植ではありません。中川学童のボウ年会は、来年を“望む”会です)。馴染みの、そしてOB代々からのたまり場になっている近所の焼き肉店(しかし私たちにとっては一品料理店?、なぜならここで学童メンバーで焼き肉を食べたことはない(^_^;)へ行くと、普段、港区子どもまつりなどでお世話になっている地元企業の社長ご一家が食事をされていました。
 そんなご家族の雰囲気、社長の人柄なのかMさんを中心に途絶えることのない会話と笑顔…、それは本当に何とも言えない好い雰囲気で、思わず我が身を反省。同時に、私の頭の中にはあるプロジェクトが(大袈裟!)。数ヶ月前、社長・MさんのBlogを拝見した時、Blogで発信しているMさんのメッセージと共にそこで紹介されていた社内研修で使っているという月刊誌『致知』 に興味を持ったので、いつかこのことについてお聞きしようと。そこで思い切って、先に席を立たれたMさんに声をかけてこのことを伝えました。
 するとMさん、お忙しいのに本日、早速この月刊誌と共にMさんの想いのこもったメッセージプリントなどを届けて下さいました。Mさん、本当にありがとうございました。
 私自身の成長も含め、グループ学童指導員のチーム力をいかに高めるか…?そして学童が地域にいかに認知されて行くか…?必要とする世帯に、さらに安心して預けていただくことができるようにするにはどうしたらいいか…?これが私の、2011年のテーマです。短い年末年始休暇ですが、新年の読書はじめはMさんにいただいた『致知』でいこうと思います。

 ところで、今の私の悩みは、購読新聞を『朝日』から『中日』に切り替えようかどうか?『中日』では、元旦から新聞小説に五木寛之の「親鸞・激動編」 が連載されるとのこと。これは毎日読みたいのですが、『朝日』は切りがたく、さりとてもう一紙購読している我が家としては『中日』の追加は考えられず、また、毎日喫茶店に行くこともできず…、う~ん?
 どなたか、一日、いえいえ一週間遅れでもいいから読了済みの『中日』学童に持って来てくれないかな?責任持って、子ども会の廃品回収に出します!厚かましい(^_^;? 










2010年12月25日

Merry Christmas to you!


 12月、そしてクリスマスは何か特別な想いが胸をよぎる。しかし今日は何も考えずゆっくり家族と食事を。何かあった時、あの時「ああ言えば良かった。こう言えば良かった」と思うのは、そしてそれがいつまでも頭の中を巡り、そこに悔しさを感じてしまうのは、まだまだ自分が未熟な証拠。
 ところで、学童でのクリスマスは…というと、かつては保護者も巻き込んでの大クリスマス会を行っていた時期も!そんな数年間は、毎年、絵本などをモチーフにOriginalの劇をつくり披露していた。今、思うとよくやっていたなぁ…と、苦笑い。そのためにつくった衣装があるのだが、もうここン?10年と日の目を見ていないのに、結局、プレハブ建替えという絶好のチャンスも活かせず(^_^;、今も倉庫の奥に。昨今、世間では断捨離がクローズアップされているが、前述の想いと共になかなか。
 もしもこのBlogをご覧になっている保育関係者の皆さんで、欲しい!という方は是非ご連絡を!『森のおくりもの』 ・『クリスマス・キャロル』『王様の耳はロバの耳』などは一式差し上げます(送料の負担はお願いします。中身チェックは随分前なので、全部揃っていないことも)。
 では、今の学童でのクリスマスは…というと、障害者作業所が開催する合同クリスマス会に参加させていただいたり、その日の昼食メニューをいつもよりちょっと豪華にして、ジュースで「カンパ~イ!」やクリスマス絵本の読み聞かせなどなど。
 今年は、イブの日は学童OB出演の高校生演劇部のミュージカルを観に行っていたので、学童に帰ってからクリスマス絵本を2冊。その内の一冊が
『世界にひとつしかクリスマスツリーがなかったら』
 さて、皆さん…
もしもクリスマスツリーが世界に一本しかなかったら
あなたは、なにを飾りますか?
*本文より
Merry Christmas&I wish a Happy New Year!
皆さんのご健康とご多幸を-

2010年12月23日

Sandbag

 学童指導員はSandbag?
 一労働者として自ら捨ててしまっている就業規則( これは自分の責任であり、誤り)。就業規則の中での就業時間は10:00~18:00。しかし9:00過ぎの電話にも対応し最後のお迎えの子を送り出し保育室の掃除を始められるのは19:00前。とうていこの中ではすべての仕事は完了できない。
 今も昔も学童には基準がない。そしてそれは仕事内容につていも。例えば、通信の発行は?対外庶務は?また、今時の時勢で言うならHPは?
 私たちの前では飛びっ切りの笑顔を見せている子どもたち。そんな誰とも比べることができない子どもたち一人一人の確かな瞬間。力不足?まだまだ伝え切れていないのか…。
 カーテン越しに白む空と、まもなく底に到達する焼酎ボトルを見ながら、今日もまた、金八先生のモデルになった三上 満氏の『眠れぬ夜の教師のために』 を手にする。

2010年12月15日

来春の朝ドラ「おひさま」、郷里にて収録中!

本日は、軽い話題を(#^.^#)。
ナント、今、私の実家の庭などで、来春NHKで放映される朝の井上真央主演・連続ドラマ「おひさま」が収録されているよう。
 ひまわりが咲いている庭?それとも対面にある駐車場にセットができていて、今、車庫が使えないとか。両親はじめ郷里の人たち、今、てんやわんやの大騒ぎなのでは(#^.^#)? 少し前、たまたまテレビを見ていると、リフォーム番組で叔母が暮らす木曽福島町の家がとりあげられていたので、電話をするともうすでにご覧に! 
 私の郷里では、きっとしばらくこの話題でもちきりだろうな?

2010年12月7日

今も昔も、昔も今も… by1988

 先日、もう今から20年以上も前にお子さんを中川学童に預けていたお母さんからメールが届きました。

『ついこの間お正月と思ったら、又年末が近づいて‥いつも行事誘ってっていってるのに、全然連絡ないね。寂しいな。何時でも声かけてね。M子も、港にとても行きたがってるし。 私たちも忙しいけど、会いたいから行きたいな。シャリバンほんとにずーっと頑張ってるね。私の、実家みたいだなー学童は。ほんと又会いたいな。声かけてね。待ってるよ。お手伝いでも良いよ。』

 ありがとう、Oさん、学童が実家みたいだなんて、とても嬉しいです。生まれも育ちも、考え方も違う人が集まって、子どもを真ん中につながっている…、それは昔も今も変わりません そして変わらないといえば、学童を子どもだけでなく親も楽しんでしまう“中川気質”(#^.^#)! 例えば、港区学童合同運動会における仮装、それもそんな“中川気質” が常に港区を引っ張ってきたのではないかと思います。2010年度の今、今回の合同運動会で仮装アトラクションに参加したのは3学童ですが、当時はもっともっと多くの学童が参加!また、その名称も“仮装リレー”であったため、中川の陽気なハメはずしもあり(^_^;、この仮装リレーも、
  1,本気モードの仮装リレー
  2,エンターテインメントの仮装リレー
に分けて行っていました。実は、中川がハメを外したため、上記二つのレギュレーション?が設けられました(参考:その約15年後、運動会“仮装”で『ウォーターボーイズ』を行ったため、合同運動会から“仮装”がなくなりました。現在は復活!)。
 ところで、今回紹介した写真、レギュレーション1,2のどちらだと思いますか?これは当時の“本気モード”の仮装リレーメンバーです\(◎o◎)/!。当時、最年少父母としてお子さんを学童に預けたOさんのオトーチャン(写真中央)、このチームのエースでしたね。
 あれから20年、月日の流れは本当に早く、Oさんの娘さんM子もこの春、お母さんに!従って、当時最年少オトーチャンも、今はオジイチャン。ちなみに、写真前列真ん中のお母さんも先月・11月24日にお祖母ちゃんになりましたよ(#^.^#)。
 こうしたOさんはじめ多くの皆さんとの出会いがあり、今、私はここに立っていることができます。ありがとう。
p.s.M子、春風が吹いて暖かくなる頃、君の赤ちゃんの顔を見せに来てね。

2010年12月2日

『雨の日と月曜日は』『塾の日と木曜日は』

 私が洋楽を聴くきっかけとなったのはカーペンターズ。小学校高学年の頃だろうか?今振り返ると笑い話だが、当時、子ども心にもビートルズの『Yesterday』は有名でそれを聞いてみたく、しかし何を思ったのかレコード店で手に取ったのはYesterday違いである、カーペンターズの『Yesterday Once More』(^_^;。しかしこの曲の明るく軽快なメロディとカレンのボーカルに魅せられ、カーペンターズ・ファンに。
 よくクラスの男子で集まり、
「誰が好きか?」
なんて話しをするときなど、もちろん当時の意中の子の名前なんて恥ずかしくて言うことができず、そんな時は決まって、
「カレン」
と答えていた。
 そんなカーペンターズの数ある名曲の中で、私が一番好きなのは『雨の日と月曜日は』だ。イントロがハーモニカで始まる哀愁を帯びたこの曲のメロディラインは本当に美しい。
 さて、何だか回りくどくなったが、今、私が好きなのは『塾の日と木曜日は』である。一ヶ月ほど前から週に一回、木曜日、娘を塾に送り迎えしている(パートーナーに直訴した(^_^;)。片道15分程度ではあるものの、この時間、私にとっては本当に貴重である。他愛もない話しをしながら、しかしそんな中でも娘の成長を感じることができると共に、“ダメ親父”であっても、まだ娘とつながっていることが実感できる。
 そしてそんな時に思い出すのは、保育園の送り迎えをしていたときのこと(写真:2001年10月)。当時は必死で、お迎え時渋滞に引っかかろうものなら、そんな時は泣きたい気分に。しかし、今思うとそんな時間、悪くはないなぁ…と。子どもが大きくなるにつれ、留守番一つとっても子どもが一人でできることが一つずつ増えて行くと、親の出番は一つずつ減って行く。
 私も19の春から家を出ているので、それ以降両親と過ごすのは特別な事情がない限り年に2,3回。両親はそんな私にどんな想いを抱いていたのだろう。
 今なら少しだけ、わかる気がする。
 さて、昨夜はパートーナーが忘年会であったため、また、職場を出たのが19:00過ぎであったため、娘の塾が終わって迎えに行ってから夕食を準備し、22:00前に遅めの夕食。ファッションのこと、音楽のことを話しながらの一時…、あとどれくらいこんな時間を持つことができるのだろうか?
 改めて、『雨の日と月曜は』を聴きながら、『塾の日と木曜日は』をかみしめる。

2010年11月29日

学童は地域の中で…

 11月28日(日)、昨日は学区のもちつき大会。もちつき大会開催にあたって、学区より
「つき手を(学童から)出してほしい」
との要請が学童にありました。そこで当初は会長と私を含め3名で参加する予定でしたが、前夜の父母会で呼びかけたところ、さらに4名のオトーチャンの協力を得ることができました。手前味噌ではありますが、このあたり、子どもを真ん中に“つながっている”中川学童のいいところだなぁ…とつくづく思います。
 そして、10時開始のこのもちつき、9時集合とのことだったので同時刻に会場に行くと、すでに設営は完了!あとはもち米の蒸しあがりをまち、つくだけとなっていました。学区連絡協議会の皆さんは相当前から準備を始めていたのですね。設営時間からの参加要請をして下さればよかったのに…と、何だか申し訳なく…。
 そんな中始まったもちつき。皆さん、今回、何臼ついたと思いますか?ナント、40臼(O_O)!開始前この数を聞いたときは、気が遠くなりましたが(^_^;、二手に分かれ一臼ずつ。途中、炊き出しの昼食をいただきながら一臼ずつ。そしてこのもちつき、昨年より遅かったとのことではありますが、14:30に完了。最後の一臼をつき終わった時は、さすがに疲労感がただよっているものの、皆さんの表情には充足感が。
 さて、10年以上前でしょうか、学区に商店街があった頃は、商店街が中心になってもちつき大会を開催しており、その時は学童も参加させていただいていました。しかし商店街がなくなり、学区が中心になって開催されるようになってからは縁遠くなっていました。従って今回は久しぶりの参加です。
 ただ、参加したといってそれはほんの一部分です。企画立案、前日からの準備、当日早朝からの設営、炊き出し、片付け…など、いつも中心になって進めて下さっている学区連絡協議会の皆さんのご苦労はいかほどのものか?だから、学童も地域にある一つの施設ということからすると、学童としてももっと積極的に関わっていかなければならないなぁ…と。
 名古屋の学童は、その助成制度からも地域の理解なくしては成り立ちません。今、子育て新システムが急転直下で論議されていますが、恐らく国のシステムが根幹から変わると、これまで私たちが築いてきた学童は一溜まりもないでしょう。そんな時、学童を利用している保護者だけでなく、
「今の学童は大切なんだ。中川学童をなくしては、困るんだ!」
と、地域の皆さんからも声を出していただけるよう、学童をそんな場所にして行かなければなりません。そういった意味からも、学童としての地域貢献については積極的に論議して行かなければなりません。同時に、地域行事への参加は大きな学童アピールの場となるので、これからも積極的に参加して行きたいですね。
 もちつきが終わり帰ろうとすると、地域の方から、
「シャリバン、また、来年もお願いしますね」
地域の方からも、“シャリバン”…、これは嬉しい限りです(私があと数年するとン?0歳となることを差し引いても(^_^;)。
 次年度は年間計画に-。
《Photo》写真ではおもちをついていますが、この日私はかえし専門。40臼の内の20臼、そしてその約半分、終わった時には指はふやけていました。今、全身筋肉痛です(^_^;。

2010年11月26日

『日本の学童ほいく』誌

 先日、中川学童保育所・父母会専用掲示板に、あるお父さんが、以下のメッセージを寄せて下さいました。


「まずはシャリバン、いつも【てだのふぁ】読んでいます。関心するぐらい、毎日の様に発行され、最近家に帰ってきたらまず、靴を脱ぎ、その後すぐに食卓に座り【てだのふぁ】を読んでいます。これからも宜しくお願いします」

 きっと、仕事で疲れて帰られることでしょうが、真っ先に学童通信『てだのふぁ』を手に取ってくれる…、嬉しい限りです(#^.^#)。意図したあそびがあること、そして保護者の皆さんとの伝えあいとそこから育まれる共感、私はこの二つは学童保育になくてはならない大切な要素であると考えています。その共感のためのツールの一つとして、私は通信活動を位置づけています。
 このことについて執筆した私の拙文が、『日本の学童ほいく』誌・11月号に掲載されました。
 ただ、全国誌に掲載…といっても 、執筆したとおりの実践を日頃行うことができているのか?と自問すると
「掲載されました!」
と、大きな声で言うことはできず(^_^;、このことの報告は掲載号が発行される前に父母会役員会でチラリと報告したのみ。
 こうした中、ある在籍児童のお母さんから、
「父母会でアピールするべき、カイチョーと相談します」
との声。う~ん、今から父母会の時に入る穴を掘らなければ!

 さて、今回掲載されたことで、全国研に参加したとき、会場で他府県で指導員をやっている友人から
「のってたね」
との声がかけられ、また、
「(学童ほいく誌で)名前を見たから…」
とメールが届くものの、ここ地元では…。

 何はともあれ、今回の掲載にあたっては、全国連協『日本の学童ほいく』誌・編集部のOさん、大変お世話になりました。千葉・全国研 交流会会場でお話しできて良かったです。

2010年11月23日

孤育ての国

 朝日新聞の『耕論』というページ、オモシロイ。
本日一面での同ページ紹介記事は…、
『子育て 耕論「孤育ての国」ママ孤独』のタイトルのもと、“核家族化、夫の長時間労働、早期教育の重圧…。現代日本の子育ては、「孤育て」に陥りがちだ。どうしたらいいの?芥川作家の金原ひとみさんら3人の母に聞いた”。 
 もちろん、興味津々にページをめくる。
 キャプションには、
“子育てママが孤立感を深めている。日本はいつの間にか周辺に類例のない「孤育ての国」になった。昔より育児支援が広がっているのに、なぜ?どうしたら解消できるの?世代の違う3人の母が語る”。
 以下、抜粋。

金原ひとみさん(83年生まれ。芥川賞作家)
 以前は虐待のニュースを見ると、可愛そうだと思うと同時にほっとしたんですよ。「やっぱりみんなキレてんだなー」って。/(自らの仕事が評価されるのに対して。また、保育園のお迎え時、偶然他のお母さんから子育てを評価してもらえ…)育児の方が執筆の100倍きついのに、だれも評価してくれないですよね。私ほめられたかったのかー、って目からうろこでした。

落合 恵美子さん(58年生まれ。京都大大学院教授)
 日本社会は育児に限らず、高齢者介護など福祉の負担を家族に集中させてきました。それが家族の機能不全を招き、結婚や育児への不安を増幅させています。/幼稚園と保育園を一体化して「こども園」をつくることは、質の確保という課題をクリアできれば、孤育て解消にかなり効果があるのではないでしょうか。

大日向 雅美さん
 育児のつらさや「孤育て」から解放されるコツは五つ。
   ・子どもの育つ力を信じる。
   ・周囲の人の力を上手に借りる。
   ・完璧を目指さない。
   ・悩んでいる自分を恥じない。
   ・自分と異なる考え、価値観に慣用になる。                              
 こうしてみると学童は「子育て」、「共育ち」の場であり「孤育て」とは無縁かな。 こんなことができてしまうこと、一緒にやっちゃえるなかまがいること(^_^;…(そこかいな!)、このことは本当に貴重なことだと思う。
 待機児童解消などのためのこども園もいいが、今ある社会資産である学童などを活用した方が即効性もあり、例えば孤育てしているお母さんの想いを正面から受け止めることができるのに、なぜ、国はそのことがわからないのだろう。

晩秋に


 11月21日、穏やかな秋の一日、束の間の娘とのデート(きっと、彼女はそう思っていない(^_^;)、僅か2時間ぐらいのことだが、こんな風に過ごすのは何年ぶりだろう。また、一緒に買い物をするのも。この日買ってあげたのは、三面鏡と香水。
 約10年前、私が保育園お迎え当番の時は、必死で保育時間Maxの18:00寸前に保育園へ飛び込み、その後は決まって晩酌用のビールを買いに帰宅途上のコンビニに。そんな時は決まって
「おかし、かって」
「いいよ、じゃぁ、ニイチャンのぶんも…、ひとり100えんね…」
ナンテ…、こんなやりとりを。
 100円のお菓子が、三面鏡と香水に…。
保育園、そして小学校…、その時は子どもとの時間は無尽蔵であったが、また、無尽蔵であり続けるかと思っていたが、実はそうではない。
 ダカラ…、子育て世代の皆さん、イマヲ タイセツニ…。

2010年11月19日

新システム、幼保一元化、こども園…

 このところ連日のようにマスメディアに登場する、「新システム」「幼保一元化」「こども園」などの文字列。
 何のために?誰のために?しかし政府は、本気である。政権運営、維持のため?国民の要求からスタートしていないことから、そんなに単純に事は進まないとは思うが、3年後それらが何らかの形で具体的になった時、そこからの行動では遅い。今、できることを始めよう。
 
 新システムに反対し保育をよくする会(略称 保育をよくする会) …一度のぞいてみて下さい。右のバナーからもリンクします。

 ところで、学童で本当にのびのびしている子どもたち。先日、子どもたちの宿題をチェックしていると、M可、寝転び肘枕をしながら私に、
「ネェ、ネェ…」
…(^_^;、妻にもそんな恰好で呼びかけられた事なんてナイノニ(^_^;。
 まっ、いいっか…、君たち、学童で心と体、本当に解放できているんだね。

2010年11月16日

Nakagawa-Style-


 楽しかった合同運動会、その翌日、あるお母さんが、以下のメッセージを連絡帳に記して下さいました。

 楽しく素敵な運動会。
日々の疲れがふっとんだ一日になりました。ありがとうございました。我が子の懸命な姿や、上級生の子どもたちの楽しい様子が、私たちにとっても忘れられない一日となりました。
 大勢の指導員さんや父母の力に感謝です。
 AKB48も準備した甲斐が充分にありましたよね。とても完成度の高い仮装でした!ビデオが失敗なく撮れていることを祈ります。
 お疲れ様、ありがとうございました。

 こちらこそ、ありがとうございました。そしてこんな素敵なメッセージも!こうしたメッセージをいただくと、私も疲れが吹き飛びます(#^.^#)。
 名古屋の学童は父母が運営を担っています。運営を担うことで、夜の会議や、そしてな日曜日を使った事業活動や今回の合同運動会のような交流行事があり、そしてこのことが片方では学童のマイナスイメージとして語られます。
 「忙しく働いているから預けているのに、なんでそんなことをしなければならないのか?」
と。そうですね、確かにその通りですね。しかし、ちょっと視点を変えると、そして学童保育所全体でそうした活動方法のあり方を転換すると、そうした一見面倒くさく釈然としない活動も、それがつながることの喜びとなり新たな共感を育むのではないかと思います。
 活動方法のあり方の転換、一番は父母会活動に“平等”を持ち込まないことだと思います。確かに、子どもを預けている事に関しては、そのことに関しては立場は同じです。しかし学童保育への理解も含め一人一人のスタンスは異なっていると共に、就労実態も様々です。そんな一人一人の違いを尊重し、理解していかなければ、そう努力しなければ子どもを真ん中にした共感は生まれないのではないかと思います。父母会活動の原点とスタートは“共感”からなのではないでしょうか。
 そのために指導員として行えること、それは子どもたちの放課後の生活を充実させることかな。子どもたちの幸せは私たちの共通の願いです。そんな我が子、そして子どもたちが元気に、そして元気一杯に学童に通っていると、きっと、お父さん・お母さんも、最初は
「ナンダカメンドウクサイコトガオオイナ…」
と思っていた学童も、
「オッ、イイジャン!」
と満更でもなくなるのでは(#^.^#)?

 Nakagawa-Style-…保育方針は~あたたかく やわらかく ゆったりと~、
そして父母会活動方針も~あたたかく やわらかく ゆったりと~、やれる時にやれることをやれる人で楽しく頑張る!です。

★《写真》ちなみにお二人はご夫婦ではありません。学童familyです(^_^)V!
Y・ママ、歳が違う…なんて、決して言っていませんよ(#^.^#)。
 
 
 

2010年11月12日

子どもたちに伝えたいこと


 先週、朝日新聞朝刊でハマショー、浜田省吾の記事を見つける。
ハマショーは先日紹介したデイヴィット・フォスターと共に私の好きなアーティストの一人。しかし、その人物についてはあまり知るところではなかったが、今回手にした新聞記事で、彼と彼が歌に託したメッセージがつながった。
 同時に、この新聞記事で彼のBest Album 『The Best of Shogo Hamada vol.3 The Last Weekend 』が発売されていたことを知り、早速手に入れる。その感想…、やっぱりハマショーはイイ!の一言。
 23年前の夏、私なりの平和への願いを胸に、名古屋からヒロシマまで自転車で出かけた。のぼりなどを立てて走っていたわけではないがヒロシマに近づくにつれ、時折、追い抜かして行く車、そしてすれ違う車のドライバーからエールがあり、そんな時は右の拳を握り応えていた。そしてこの炎天下のヒロシマへの道、常に頭の中で流れ口ずさんでいた曲、それがハマショーの1986年に発売されたLP『J Boy』に収録されていた「A New Style War」。
 どんな時代に、どんな社会に…、私自身、最近こうしたことを語ることがなくなっているが、子どもたちの未来を見たときに、私たち大人が何をしなければならないのか?このことは、そしてもっと核心に触れることをしっかり語り合っていかなければならないと思う。

2010年11月11日

My Daughter

 今日は娘の中学校の文化祭・合唱コンクールがありました。中学3年生の娘の出番は12:50~なので、遅めの休憩を取り(…というより、ここ数年まともに休憩時間をとっていない(^_^;)、30分鑑賞することができました。
 いけませんね…、先月の体育祭も同じでしたが、娘も含めた子どもたちが一生懸命何かをやっている姿を見ると、もう、途端に涙が溢れてきます。
 “こんなことをやっているんだ”“こんなことができるようになったんだ”“友だちの中で笑っている”…など、それは私の我が家での子育てが胸をよぎるからです。仕事優先で、ホントウニ、ナニモヤッテイナイ…。それでも子どもたちは、私のことを
「父さん」
と。
 子どもが大きくなるのは、アッという間。そして、人の一生から見ても、子育てに関わることができる時間は本当に僅かです。しかし、その時間は貴重でかけがえのないものです。
 皆さん、二度と戻らないその時間を大切にして下さいね。
子育てはいつからでもスタートといいますが、今日は、そのスタートラインから何ができるのかを必死で探しているシャリバンからのメッセージです。

《写真》こんな時もあったんだなぁ…。
    6年前、娘はネコのぬいぐるみをPちゃんと名付け、
    いつも抱いて寝ていました(#^.^#)。

2010年11月8日

THE BEST OF ME

 生きて行く上で欠かすことができないもの、家族、なかま、子どもたちの笑顔、青い空、青い海、本、映画、アルコール(^_^;…など、たくさんありますが、music…音楽もやはりその中の一つ。
 昨日は絵本に触れましたが、本日は音楽について。
数ある音楽、そしてアーティスト、誰が一番好きか?これは実に難しい問題です。が、私の“好きなアーティスト”を問われたときに10本の指の中に入るのは、そしてかなり上位に来るのはやはりデイビッド・フォスター。
 デイビッド・フォスター…、もしかしたら聞き慣れない名前かもしれませんが、彼がプロデュースした曲は身近にあり、そんな曲を聴くときっと、「あぁ…」と思われることと思います。
 最近発売されたベスト盤『Love Again』、オススメです。
 もちろん、私のiPodの中、日々大奮闘です(#^.^#)。

2010年11月6日

100万回生きたねこ


 学童では絵本の読み聞かせを行っていますが、この時は、私にとっては“趣味と実益”の時間です。子どもたちにどの本を読むのか?それを考えるのも楽しい時間です。

 そんな絵本との出会いは、大学に入ってから(中学生の頃は戦記物、高校時代は司馬遼太郎、浪人時代は三浦綾子ばかりを読んでいました)。実は私、大学時代、児童文学研究会というサークルに所属していました。エーッ、ホント!と言わないで下さいね(^_^;。

 そこで、先輩の影響を受け、中川学童通信名を『てだのふぁ』とするきっかけになった灰谷文学と出会い、そんな中絵本も手に取るようになりました。

 絵本、これは子どもだけではなく、大人のための本でもあると思います。古典と言われている作品や小説に比べると字数は圧倒的に少ないのに、絵本、その作品によっては、うまく表現できませんが…、人生を考えさせられたり、道しるべになったり。本当に奥が深いと思います。

 そんな絵本、数ある作品の中で私の10本の指の中に入る一冊、それが佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』です。

 その佐野さん、5日に72歳の生涯を閉じられました。ご冥福をお祈りいたします。

2010年11月1日

全国研


 ここ数年は毎年参加している(参加させていただいている)全国研(第45回全国学童保育研究集会)。
そしてこの全国研…、一言で言うなら、やっぱりいい!本当に元気がもらえます。
 今回は、事前にホテルも押さえずドタバタの中での出発になりましたが、また、台風の影響もありましたが、今年も参加して本当に良かったです。
 そして、今回も特に目的があるわけでありませんが現地・千葉で余分にもう一泊。保育体制がキビシイ中、指導員仲間には迷惑をかけましたが、一年に一回、自分へのご褒美かな。

2010年8月16日

Mちゃん、お手紙ありがとう!そして学童の中で…

 8月6日(金)の引率保育中に発熱(^_^;…。
まったく情けない。原因はあきらかに不摂生。子どもたち、そして保護者の皆さんには「早寝早起きで規則正しい生活を心がけ、健康で楽しい夏休みに」、また、パートさん面接の時には「体調不調は注意散漫のもと。重大な事故につながる可能性があるので、自らの体調管理を怠らないように…」などとエラそうなことを言っているのに。ちなみに、39度2分出たこの日の引率保育、熱でボーッとしていたのだろう、ナント!自分のリュックを地下鉄に忘れるという体たらく(もちろん、なにがあっても子どもたちの確認などに抜かりはありません)。
 さて、今回体調を崩したことにより、翌日・7日の保育はグループ学童の指導員さんのサポートを得ることができ、保育は外れることに。しかし、諸々の実務があるため、朝学童に出勤すると、K学童のKちゃんは、私の顔を見るなり、
「シャリバン、おねつ、だいじょうぶ?」
こんな子どもの言葉、涙が出ます。我が学童のK真くんは、
「シャリバン、だいじょうぶ?おかあさんが、シンパイしていた」
 そして、翌週はパートーナー指導員が、K学童Mちゃんのお手紙を言付かってきてくれました。みんな、本当にありがとう(#^.^#)。
これはまさに指導員冥利!
 さて、こうした経緯の中、本日、保護者の方から、K真くんのお母さんから以下のメールが。
「お疲れ様です。シャリバンの風邪はどうでしょうか?完全復活でしょうか?たいへん失礼なんですが、あんなに“てだのふぁ”かいて、いろんなことしている姿を見ていて、本当に普通の人間なのかと思ってました…熱をだしたときいたとき、あっシャリバンも普通の人間だと、大変失礼ながら思ってしまいました。すいません。体大事にしてくださいね。家のK真さん(*1年生)は家では味噌汁の豆腐しか食べなかったんですが、この間、豆腐の味噌汁、汁も全部飲んでいました。なんだかえらく感動してしまいました。これもみなさまのおかげです。余計なことをなかながと書きましたが、これまでのことは読み流していただいて本題です。キャンプについてですが、母は一泊二日で参加を予定を出していましたが、勤務表がでてキャンプの日3日間休みになりました。可能であれば母もキャンプ初日から参加したいと思っておりますがどうでしょうか?」
 子どものみならず、こうした保護者の方からのメッセージも、やはり指導員冥利。そして、このメッセージの中には学童の最大の特長である、“子ども集団”があるという優位性も。きっとK真は味噌汁が苦手だったのでしょう。
 そういえば先日、学童給食時、K真と一緒のテーブルのK河の食器に盛りつけられていた昼食に思わず、
「シマッタ!」
私がこの日配膳を任せたパートさんに明確に指示しなかったために、K河の食器には彼の苦手な野菜が所狭しと(^_^;。中川学童のおやつや食事における一番のルールは、
   1,残さない(この意味はわかりますよね)
   2,そのために、苦手なものは最初に減らす。
 従って、この時の状況は、指導員にとっても、子どもにとっても大きなストレスである。しかし、この間のK河の状況からすると、あまりに酷である。そこでK河に、すでに手がつけられていてルールからは残すことができないものの、
「ハンブンニ シヨウカ?」
と聞くと、K河は
「ううん…(たべる)」
と、首を左右に!
 この日、時間はかかったものの、同じ班のK真とK河は苦手な食べものも残さず最後まで。

 学童で、みんな着実に大きくなっている。

 さぁ、キャンプはこんな子どもたちの“今”を肴に、大いに交流しましょう!

2010年7月10日

心の中のヒマワリは…


 ピカピカだけど殺風景な保育室に子どもたち一人一人の
「ヒマワリを咲かせよう!」
と、仰々しく始めた(^_^;この取り組みですが、そのヒマワリの発芽、そして生育は両極端となっています。芽が出て日ごとに大きくなっている子、逆に、未だに芽が出ない子…。
 こうした中にあって、Kちゃんのヒマワリは順調、順調(#^.^#)!今一番大きくなっています。しかし、そんなKちゃんの学童生活はというと、決して順調ではありません。Kちゃんの中で学童という場所が、ヒマワリの芽のようになかなか大きくなりません。
 2010年度、中川学童には3小学校から15名(昨日からさらに1名入所したので16名!)のお友だちが入所しましたが、N小からはKちゃん一人。一緒に通うことができる同じ学年のお友だちが居ないこと、このことが大きいのかな。学童に来てしまええば、お友だちとしっかり交わり、私たち指導員にも絡み、思いっきりKちゃんWorldを展開しているのに、週に3日の登所日もお母さんに早いお迎えを-。従って、親元を離れての外泊経験がないことの不安もあったのでしょうが、先日のお泊まり保育もKちゃん一人だけ参加することができませんでした。
 学童への関わり、そして利用の仕方はそれぞれの家庭のポジションがあっていいと思います。しかし、指導員の欲目としては、入所した皆さんは親子共に学童を好きになってほしいなぁ…と。ヒマワリの花が咲く頃、Kちゃんの心の中にも学童という花が大きく開いているといいなぁと思います。また、そうなるよう関わって行きたいと思います。
 ところで、そんなKちゃんのこと、その下校の時の様子をK基くんの叔母さんが見ていてくれて、その時は一緒に帰る学童の2年生の男の子三人の後ろをトボトボ歩いていたように見えたようです。そんな話しを聞いたK基くんのお母さん・Nさん、このことをK基くんに話してくれたそうです。K基くんたちが、しっかりKちゃんの面倒を見てあげなければ…と。そう、K基くんが1年生tの時は、当時2年生だったM加ちゃんが甲斐甲斐しく彼らを見てくれていました(M加ちゃんも同学年通所児童一人という中で通い続けています)。
 この報告をNさんから聞いた私は、翌日、相棒指導員に下校の様子をチェックしてもらいました(刑事?探偵?のようにこっそり後をつけてもらいました(#^.^#))。するとその日は一人お休みすることになっていたので、三人で仲良くしりとりをしながら楽しそうに歩いていたとのこと。
 このエピソード、共同の子育てをしている学童ならではですね。
 楽しいこと、嫌なこと、子どもたちの生活の中には色んなことがあります。マイナス面だと感じることも実はマイナスなことばかりではありません。しかしプレス面を大きく膨らませて行くことができるといいですね。
 ヒマワリ、いつ咲くかな?

2010年7月8日

星に願いを

 今年入所した1年生のYくん。コマが上手いためみんなからの信頼も厚く、私たち指導員からみてもしっかり者です。
 しかし、線が細いところもあり、家族が恋しく、学校へ行く前、そして学校でもまだまだ泣けてしまうよう。しかし、そんな寂しい思いを心の片隅に抱えながらも、もしかしたらがんばってしまっているかもしれませんが、学童では笑顔いっぱい、そして思いっきり走り回っています。
 さて、7月2日(金)・3日(土)で行ったお泊まり会。Yくんは不安を抱えながらの参加でしたが、上級生にも支えられながら、彼自身、一つの壁を乗り越えました。このことで彼自身、学童がまた一つ近くなったのでしょう。Yくんは七夕の短冊に、
“ずーっと、がくどうにいきたいです”
と、記しました。
 こうした子どもの想い、嬉しいですね。
子どもが自ら「行きたい」と思える学童を創っていかなければ…と、改めて思います。
 ところで七夕の夜、ここ名古屋はお天気が悪く、Yくんの想いは空へは届かなかったかもしれません。しかし、Yくんの願いは私たちの手で実現させることができます。
 子どもたちが活き活きと通え、経済的事情に左右されず保護者の皆さんが安心して預けられるよう、また、学童で働く指導員も展望を持って働き続けることができるよう、そんな学童になるよう行政に働きかけて行きましょう。また、現状改善の取り組みを共に進めて行きましょう。

2010年6月21日

日本学童保育学会設立大会

 週末(6月19日・20日)、もしも名古屋に居たらきっと仕事と休日のON・OFFがなく、しかも“仕事”をしたとしてもあまり具体的成果がないままナントナク過ぎてしまったんだろうな…という中、今回、思い切ってタイトル大会へ参加した(この大会が何か?については、タイトルからリンクし見てください)。
 出発直前まで参加するか、それでも具体的実務を一つでもこなすことを取るのかを迷ったが(^^ゞ、思い切って参加して良かった。
 今回は文字通り学童保育学会立ち上げの大会であったものの、学童保育に関する各研究発表の場でもあった。
to be continueede

2010年6月18日

OBの皆さんへ

 先の投稿で中川学童の特長の一つを紹介しましたが、OBの皆さんとも繋がっていること、このこともそんな特長の一つです。
 先日、子どもたちが帰った後事務仕事とをしているとOBの方から
「今、M(たまり場の焼き肉屋さん)で飲んでいるんだけど、出てこない?」
と。本当に嬉しいお誘いです。
 また、先日は近況報告と共に、新保育室お披露目餅つきまつりの夜、OBの皆さんと交流した時のことを「ありがとう」と、そんな丁寧なメールが届きました。
 こちらこそ、「ありがとうございます」です。
 今回のプレハブ建て替えでは、OBの皆さんには本当にお世話になりました。無精で不作法な私ですが、こうした時に力を貸して下さる…、本当に感謝です。そんなこれまで出会った沢山の皆さんに支えられて、今、私はここにいることができます。本当にありがとうございます。
 さて、もちつきまつりの夜、別席で飲んでいたものの、新しい保育室、皆さんも気になるのでしょう。みんな千鳥足で移動し(#^.^#)、改めて、暫し、新しくはなったものの懐かしい場所で旧交を温めました。
 そして名残は尽きないけれど“おひらき”の段になると、かつて学童っ子だった子が車で酔っぱらいトーチャンを迎えに!この日迎えに来たのはMちゃんと妹のAちゃん。この子たちは学童入所後、すぐに引っ越したので、会うのは20年ぶりぐらいでしょうか。人なつっこい笑顔は変わらないものの、大人の女性になっていたMちゃん。こうした瞬間があること、これもまた指導員冥利です。
 ずっとほったらかしてきてしまったため、学童で子育て論なんか語れないような私の子育てと、息子の今。時々色んなところで出会う立派な青年になった学童っ子たち、さぁ、我が息子は?

 何はともあれ、OBの皆さん、これからもよろしくお願いします。



2010年6月9日

学童DNA


 色んな特長があるここ中川学童ですが、“人が寄ってくる…”“人の寄りがいい…”というのも一つの特長なのではないかと思います。ですから、よくお迎えにみえた時、あのお姉さんは?あのお兄さんは?と思われている、お父さんお母さんもみえるのでは。 先々週だったでしょうか、その時は昨夏アルバイトで保育に入ってくれていたアメリカの大学に通うお姉さんが、帰国したからと寄ってくれました。

 そして昨日、公園であそんでいると高校2年生のOG・A実が顔を出してくれました。学童に寄ったところ、カナッチに公園に居ることを聞き追いかけてきてくれたのです。 学童との距離は各家庭、そして何よりも子どもたち一人一人違いますが、中川学童には周期的に、“ミスター学童っ子”“ミス学童っ子”と言えるような子が出現します(笑)。学童DNAをいっぱいもったそんな子です。 
 学童DNA…?惹いて言うなら 
   ・人が大好き 
   ・小さな子の面倒を自然に見ることができる 
   ・みんなで何かをやることが好き!
…などなど、そんなステキな感性があること。私はそれを学童DNAと勝手に名付けています(笑)。 
 そして、今見ている子たちにも、人が好きで、人とつながって、みんなで何かをやることが好きな子になってほしいと、そんな願いをもって日々保育にあたっています。 
 さて、昨日学童に顔を出してくれたA実は、高校生になり演劇部を頑張っています。従って部活中心の生活なので、最近、顔を出すのはほんのたまにで、しかし、年に何回か何らかの周期で、そして彼女の中で何かあったときにここに足を運びます。 だから昨日は、
「何か、話したかったんだろう?」
と尋ねると、演劇部のことを話し始めました。 新しい作品のためのオーデションがあったこと。その中の二つの役に選ばれたこと。その一つは予期していなかった役で、その発表の時、
「緊張で涙が出てきた」
とのこと。そう、昨日はこのことを話したかったのですね、聞いて欲しかったのですね。 
 制服のため、公園では思いっきり子どもたちとあそぶことはできませんでしたが、子どもの頃から変わらないA実スマイルで、チビッ子に絡んでくれる彼女の姿、そんな姿を見ることができることはまさに指導員冥利です(もちろん彼女も、今に至るまでは色んなことがあり、それを乗り越えてきました)。
 公園から自転車を押して一緒に帰ってくれたA実、学童についてしばらくすると、
「ジャァ、帰るわ。今から友だちに会うんだ」
と。学校が終わって友だちと会うまでの間、フッと寄ることができる場所が地域にあること、学童は高校生になったA実にとっても、確かな“イバショ”なのですね。そしてそんな時に話しを聞いてくれる気心が知れた指導員がいる…、このことも手前味噌ではありますが、とても大切なことです。
 こうしたことからも、地域から学童をなくしてはいけませんね。今年度、名古屋市の学童制度は一定前進しました。しかし、助成金額がどこの学童も一緒など、まだまだその内容は不十分です。こうした中、まもなく制度改善へ向けて請願署名活動を取り組みますが、今回の要求項目には『指導員・経験加給の新設』があります。その必要性は、今回のエピソードでもわかるのではないでしょうか?
 ところでそのA実ですが、なんとまぁ、そんな気を遣わなくてもいいのに…と思うのですが、このところはおやつの差し入れも持って…。

2010年6月6日

マイ・ブラザー

 今日の休日は、久々に職場に一歩たりとも足を踏み入れない一日に。
 そしてそんな休日は、やはり映画。ここ数ヶ月息をつくまもないくらい忙しく、いくつ“観たい”と思った映画を見逃してきたことか・・・。
 何を観よう?公開日などからできるだけ古いモノから選ぶのが鉄則だが、ネットでの予告編に流れるU2の曲に惹かれ、今日は『Brother』を。
 大正解!ストーリーと共にそれぞれの俳優の演技はすばらしく、あっという間にエンディングに。私の場合、映画を観るときは基本的にビール片手(両手(^^ゞ?)なので、作品によっては途中で必死で睡魔とたたかうなんていうことも!
 さて、その衝撃的なエンディング、この映画を観た人は、きっと多くの人が“この後をどう描くのか?”ということを考えたのではないだろうか?

 ところで、この映画のために書き下ろされたというU2の曲、現時点では発売の予定が明確でないということで、残念である。
 

2010年3月15日

5年後、大きくなったその手で…

 まもなく完成する2010年プレハブ。日々その工事は着々と進んでいます。先週3月12日(金)はテラスコンクリートの仕上げ日。事前に施工業者の方に、思いつきで
「ここに子どもたちの手形を残すことができませんか?」
と声をかけたところ、快諾して下さり、この日、決して消えることのできない思い出を真新しいプレハブに残すことができました。
 さて、この手形ですが、作業日が天候に左右され流動的であることから、同時にコンクリートが固まるタイミングもあるので、対象はこの日&この時間に入所学年全員が帰所していた、2009年度入所の1年生8人。
 まもなく卒所する6年生3人。この子たちが入所した年も8人という沢山のお友だちが学童っ子となりました。しかし卒所(6年間学童に在籍したこと)は3人。
 新しい保育室に“今”を記した8人のお友だち。5年後みんながこの手形に、大きくなったその手のひらを重ねることができるといいですね。
 子どもたちが手形をつける時、優しく見守って下さっていた職人さん、ありがとうございました。H輝くんはこんな初体験です、別の場所に手をつき大きなくぼみを作ってしまいました(#^.^#)。また、子どもたちが保育室に戻った後、丁寧に仕上げられていたテラス側面には至る所に足が当たった後が…。職人さんは何も言わず、修正して下さっていました。

2010年3月6日

砂浜に想いを…

卒所旅行1日目

 雨の中出発した、2009年度卒所旅行。
午後に予定していた芝生広場での体験はできなかったものの、雨天時対策で考えていた体育館プログラムを実行!ほぼ貸し切り状態のような体育館で、普段余り行うことができない“本格”卓球やバトミントンで、また、器具庫にあるその他スポーツ&運動グッズを使って約2時間たっぷり汗をかきました。
 こうなってくると子どもたちの気分も上々!そんな子どもたちのパワーが届いたのか、体育館を出ると雨は上がっていて、水平線と雨雲を割くかのように太陽の光が!
 そんな海を横目に次は子どもたちで決めた『一刀彫り』体験。常滑焼きの湯飲みに彫刻刀を使ってデザインします。この時の子どもたちの集中力といったら!そんな彼ら一人一人の横顔に、これまでの成長を感じました。思い思いのデザインを施し部屋を出ると、眼前に広がる海には、ナント!オレンジ色の絨毯が!
 サンセット。天気予報では一日中雨だったのに…。
この卒所旅行の前に卒所論文を仕上げた今年の6年生三人。そんな彼らの6年間に神様がプレゼントしてくれたのでしょうか?夕食前、みんなで浜辺行き、荘厳な空間の中で思い思いの時を過ごしました。
 Aちゃんはどこから流れ着いたのか、浜辺に落ちていた竹を拾い、砂浜に色んな想いを綴っていました。色々な事があった6年間、きっと学童に行きたくないと思った時期もあったことでしょう。しかし今ここにいること、きっとそれは間違いではなく、保護者の皆さんに支えられながら、かけがえのない時をかけがえのない仲間と過ごしてきたこと、それはいつまでも忘れることのできない思い出になることでしょう。
 人一倍感性が豊かなSちゃんは、ずっと海を眺めていました。その胸には?
 そして自分なりのこだわりが強いTくん、お母さんへのお土産に…と、ずっと貝殻を拾っていました。

 さぁ、6年生のみんな、そして特別同行の5年生Kくん、明日も一日楽しもう!

2010年2月26日

水平線の向こう

 2月25日、今日はヘビーな一日だった。朝8時には、セレモニー以外では何年ぶりだろう?というスーツを着て緑区にある某所へ。
 その後、車を走らせ卒所旅行の下見&打ち合わせに。慌ただしい毎日、当然海を見るなんてことは日常生活の中にはなく、今日は本当に久しぶりに!今日のように天気のいい日、水平線近くを船がゆっくり進む光景、それは私が“美しいな”と思う光景の一つである。
 田舎、そして山の中で育った私には妙に海に愛着があり、大学に入り名古屋に出てきたとき、よくこの辺りを車で走った。
 当時は浜省をBGMに「サ~ヨナラ~♪・・・」なんて歌い浸りながら(^^ゞ・・・。

2010年2月12日

おそざきのレオ

 中川学童では折に触れ、絵本の読み聞かせを行っています。そんな読み聞かせ、新一年生のお友だちが入った時に必ず読む絵本は何冊かありますが、その一冊が『おそざきのレオ』です。
 子どもたち…というより、時にはお父さん・お母さんへ向けて読むことも。そしてこの絵本を読むようになったのは、別に図ったわけではありませんが今から9年前(たまたまこの頃、私がこの絵本に出会いました)、Sくん入所の年度でした。

 Sくんと絵本の主人公レオ、そしてレオとSくん、どこか似ていました。
 そのSくん、先日、一枚の紙を持って学童に寄ってくれました。

Sくんがかざしたのは、それは高校合格通知書。嬉しそうに、そして誇らしげに見せてくれたSくん。本当におめでとう。良かったね(#^.^#)。
 ところで、君の花はもう開いたのだろうか?いやいや、まだまだあわてなくていい。ゆっくり、君のペースで歩いて行こう。君には君のことを見守ってくれている、ステキな父さん・母さん、そして君につながっている人たちがいるから。
 さて、小学生の頃からずっと屈託なく純なS君は、この日も身体をはって全力で学童っ子と遊んでくれました。そんなS君の靴のかかとは昔と変わらず踏まれたまま(#^.^#)。ひとしきり公園で遊んで、
「じゃぁ、シャリバン帰るわ…」
と学童を出たSくん。
「お~い、S、リュックは?」
「アッ…」
「ダメじゃない、大事な高校合格通知書が入っているんだから…」
照れ笑いしながら戻ってきたSくんは、もう一度
「じゃぁ…」
と学童を歩いて後に。しかし、今度は
「アッ!」
と、自分で気づいてまた学童に…。
 そう、この日Sくんは自転車で学童に来ていたのです(#^.^#)。しかもサドルのない自転車で!
学童に来たときには気づかなかったので、
「お、お、おい…、サドルのない自転車、どうやって乗るの?」
「ダイジョウブ、ダイジョウブ…」
 Sくんは屈託のない、出会いの頃と変わらないS君スマイルを残して帰って行きました。

 Sくん、高校合格、本当におめでとう。
どんな時も君らしくね。


2010年1月10日

今年最初に手にした本は…

 最近、新聞の全面広告などで大きく宣伝されている『親鸞 』。
 この正月に読んでいるのだが、いやぁ~、実にオモシロイ!誇大広告ではないが、宣伝文句に踊らされ思わずその本を買ってしまい痛い目を見ることはよくあるが(^^ゞ、本書は宣伝での書評に違わない。
 言葉や、表面上の知識として知っている親鸞であり歎異抄。今年はもしかしたら、ハマルかも。
 今、職場で進めている保育室の建て替え。このプロジェクトが決まってからこれまでは、年末年始どころではなくいつになく慌ただしかったが、その建て替え期間中、間借り保育室で保育が始まると少しは落ち着くので、今年は本も少しは読むことができるかな?
 親鸞、オススメである。
 
 さぁ、後は映画、今年の初映画は?

2010年1月8日

本年も、ヨロシク!

 遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 昨年、機動力をもって情報や想いを伝えようと、勢いよく始めたこのブログですが、やっぱりな…といった感じで(^^ゞ、HPの方も含めてなかなか投稿&更新できませんでした。言わなきゃいいのに(#^.^#)、年頭にあたり今年はもう少しこまめに投稿&更新して行きたいと思いますので、よろしくお願いします。
 さて、今年のお正月、故郷はずっと不安定な空模様であったと共に雪景色の中にありました。さて、距離にしたら名古屋と私の田舎は僅か180kmしか離れていませんが、なかなか定期的に顔を出すことができません。それ以上に、これは本当に申し訳ないことですが、忙しさにかまけて普段は両親のことに想いがおよびません。しかし田舎に帰ると、改めて両親の健康の上に今の私の生活が成り立っていることを感じます。痛感します。
 そして両親の健康に感謝!どうか、いつまでも…。