2010年2月26日

水平線の向こう

 2月25日、今日はヘビーな一日だった。朝8時には、セレモニー以外では何年ぶりだろう?というスーツを着て緑区にある某所へ。
 その後、車を走らせ卒所旅行の下見&打ち合わせに。慌ただしい毎日、当然海を見るなんてことは日常生活の中にはなく、今日は本当に久しぶりに!今日のように天気のいい日、水平線近くを船がゆっくり進む光景、それは私が“美しいな”と思う光景の一つである。
 田舎、そして山の中で育った私には妙に海に愛着があり、大学に入り名古屋に出てきたとき、よくこの辺りを車で走った。
 当時は浜省をBGMに「サ~ヨナラ~♪・・・」なんて歌い浸りながら(^^ゞ・・・。

2010年2月12日

おそざきのレオ

 中川学童では折に触れ、絵本の読み聞かせを行っています。そんな読み聞かせ、新一年生のお友だちが入った時に必ず読む絵本は何冊かありますが、その一冊が『おそざきのレオ』です。
 子どもたち…というより、時にはお父さん・お母さんへ向けて読むことも。そしてこの絵本を読むようになったのは、別に図ったわけではありませんが今から9年前(たまたまこの頃、私がこの絵本に出会いました)、Sくん入所の年度でした。

 Sくんと絵本の主人公レオ、そしてレオとSくん、どこか似ていました。
 そのSくん、先日、一枚の紙を持って学童に寄ってくれました。

Sくんがかざしたのは、それは高校合格通知書。嬉しそうに、そして誇らしげに見せてくれたSくん。本当におめでとう。良かったね(#^.^#)。
 ところで、君の花はもう開いたのだろうか?いやいや、まだまだあわてなくていい。ゆっくり、君のペースで歩いて行こう。君には君のことを見守ってくれている、ステキな父さん・母さん、そして君につながっている人たちがいるから。
 さて、小学生の頃からずっと屈託なく純なS君は、この日も身体をはって全力で学童っ子と遊んでくれました。そんなS君の靴のかかとは昔と変わらず踏まれたまま(#^.^#)。ひとしきり公園で遊んで、
「じゃぁ、シャリバン帰るわ…」
と学童を出たSくん。
「お~い、S、リュックは?」
「アッ…」
「ダメじゃない、大事な高校合格通知書が入っているんだから…」
照れ笑いしながら戻ってきたSくんは、もう一度
「じゃぁ…」
と学童を歩いて後に。しかし、今度は
「アッ!」
と、自分で気づいてまた学童に…。
 そう、この日Sくんは自転車で学童に来ていたのです(#^.^#)。しかもサドルのない自転車で!
学童に来たときには気づかなかったので、
「お、お、おい…、サドルのない自転車、どうやって乗るの?」
「ダイジョウブ、ダイジョウブ…」
 Sくんは屈託のない、出会いの頃と変わらないS君スマイルを残して帰って行きました。

 Sくん、高校合格、本当におめでとう。
どんな時も君らしくね。


2010年1月10日

今年最初に手にした本は…

 最近、新聞の全面広告などで大きく宣伝されている『親鸞 』。
 この正月に読んでいるのだが、いやぁ~、実にオモシロイ!誇大広告ではないが、宣伝文句に踊らされ思わずその本を買ってしまい痛い目を見ることはよくあるが(^^ゞ、本書は宣伝での書評に違わない。
 言葉や、表面上の知識として知っている親鸞であり歎異抄。今年はもしかしたら、ハマルかも。
 今、職場で進めている保育室の建て替え。このプロジェクトが決まってからこれまでは、年末年始どころではなくいつになく慌ただしかったが、その建て替え期間中、間借り保育室で保育が始まると少しは落ち着くので、今年は本も少しは読むことができるかな?
 親鸞、オススメである。
 
 さぁ、後は映画、今年の初映画は?

2010年1月8日

本年も、ヨロシク!

 遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 昨年、機動力をもって情報や想いを伝えようと、勢いよく始めたこのブログですが、やっぱりな…といった感じで(^^ゞ、HPの方も含めてなかなか投稿&更新できませんでした。言わなきゃいいのに(#^.^#)、年頭にあたり今年はもう少しこまめに投稿&更新して行きたいと思いますので、よろしくお願いします。
 さて、今年のお正月、故郷はずっと不安定な空模様であったと共に雪景色の中にありました。さて、距離にしたら名古屋と私の田舎は僅か180kmしか離れていませんが、なかなか定期的に顔を出すことができません。それ以上に、これは本当に申し訳ないことですが、忙しさにかまけて普段は両親のことに想いがおよびません。しかし田舎に帰ると、改めて両親の健康の上に今の私の生活が成り立っていることを感じます。痛感します。
 そして両親の健康に感謝!どうか、いつまでも…。

2009年11月16日

指導員冥利


 今、どこの世界も厳しいが、好景気、そして不況などの社会の状況に左右されず常に厳しい指導員の仕事。しかしやりがいは、比べることはできないが何にも負けない。ただそうは言うものの、実際、子どものみならず色んな保護者の皆さんと関わるから、苦しくなることも多い。
 しかし、それ以上に心が通い、繋がっていると感じる瞬間も日々あり、そんな想いが私を支え、私は今ここに居る。

 さて、先日も学童指導員をやっていて良かったと思う出来事があった。職場の近くにできた大型家電量販店にプリンターの用紙を買いに行った時、高校生のグループとすれ違った。なぜかその中心にいた女の子と目が合い、お互い一瞬見合ったが、何も言葉を交わさずすれ違った。その後目的の商品を手に取りレジに向かおうと振り返ると、そこにはちょっと前にすれ違った高校生の女の子が…。
彼女は首を傾げながら、
「シャリバン…?」
「……」
「まだ、指導員やっているの?Y那(彼女の名前)だよ、忘れちゃった?」
「…Y那…?」
 そう、高校生になり、そして社会人に向かう中、女の子は外見が大きく変わることがあるため、声をかけられなければわからないということ、そうしたことはよくある。
彼女は再び、
「Y那だよ、忘れちゃった?」
「忘れてないよ!今、A高校に行っているんだって?」
「よく知っているね」
「この前、お父さんに聞いたんだよ。いやぁ~、でも変わったね…」
 そして二言三言交わした後、
「声をかけてくれて、ありがとう。声をかけてくれなければわからなかったよ。声をかけてもらえて、嬉しかったよ。シャリバン…、Y那に嫌われていると思っていたから…」
 Y那はお隣K学童に在籍していた子のため、毎日接していたわけではなく、彼女が高学年になるにつれ接点が少なくなる中、彼女も思春期を迎える中、合同保育で時々会う時などは私に対しては壁を作っていた。彼女のその時の態度で、私はそんな風に感じていた。
 この私の言葉を受け、Y那は
「エーッ、そんなことないよ。うち…、あの頃…、自己表現が苦手だったから…。でも、うち…、変わったんだよ(#^.^#)!」
 ワカル、ワカル、コエヲ カケテクレタ キミ、ソシテ キミノ イキイキトシテイル エガオ。キット、イマノキミノ コウコウセイカツハ、ジュウジツシテイルンダネ。
 あの頃…、自己表現が苦手だったから…と、自己分析をするY那。きっとこの間、どこの家庭でもあるようにお父さんやお母さんとの関係の中では色々あったことと思うが、子どもって、着実に大きくなって-。
そしてこんな子どもたちの姿に触れた時などは、
“指導員をやってて良かったな…”
と。
 Y那、声をかけてくれて、ありがとう。
さて、そのY 那は別れ際、その時は学童の同期生であるUちゃんも誘って
「今度、(学童に手伝いに)行くね」
と。今からその日が楽しみである。

2009年10月26日

第44回全国学童保育研究集会

 年に一回の全国学童保育研究集会。
 今年は10月24日(土)・25日(日)に滋賀県で開催された。
ここ数年は毎年参加させていただいているが、やはりこの集会はいい!学びと共に、もしかしたら語弊があるかもしれないが、私にとっては欠かすことのできない息抜きの場になっている。
 詳細は後日として、開催県である滋賀の皆さん、ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。

2009年8月15日

終戦の日に

 この8月は、激しく鳴く蝉の声の中、子どもたちに伝えなければならないこと、伝えていかなければならないことがあります。

 なかなかUpできませんでしたが、8月6日は絵本『おりづるの旅-さだこの祈りをのせて (PHPにこにこえほん)』を子どもたちに読み聞かせました。絵本を読み聞かせる時は、その絵本によっては所々解説するのですが、私が原爆という恐ろしい兵器が今もまだたくさんあるということを言うと、“読み聞かせ、いつも一所懸命聞いてくれる四兄弟”(#^.^#)のIくんは、驚いたように
「(ゲンバクは)まだ、あるの?」
と。やはりこうしたことを意識的に伝えて行くこと、私たちの忘れてはならない大切な役割です。
 さて、この絵本では、日本の子どもたちが「原爆の子の像」を建てたことを知り学んだアメリカの子どもたちが「こども平和像」をつくったことが描かれています。そんなアメリカの子どもたちは、この「こども平和像」をヒロシマとナガサキに落とされた原爆をつくった町、ロスアラモス市に置こうとしますが、この市にはその当時も多くの人が原爆に関わる仕事に従事していたため、また、依然としてアメリカ国内には
「原爆をおとしたから、あの戦争は終わった」
と言う論調があるため大きな反対にあい、この市に置くことは実現できませんでした。

 子どもたちに問いかけます。
 「もっとたくさんの人を救うためにゲンバクを落としたっていうんだけど、14万人が殺されたんだけど、どう思う?」
「……」
「ロスアラモス市の人も、それで生活しているんだよ(もちろんすべての人ではありません)。家庭があって子どもを育てて…。生きていくためには仕事をしなければ…。もし、人を殺すための兵器をつくる仕事しかなかったら、そして自分が作った武器で人が死ぬとしたら、君たちはどうする?」
「……」
 しばらくの沈黙の後、6年生のTくん
「…う~ん、ボクだったら(仕事をせず、食べることができずに)ジブンガ、シヌ…」
その言葉を受け5年生のKくんも、
「ボクモ…カナ…」
「そんな風に思える、TくんとKくんはスゴイと思うけど、それって正しい答えだろうか?戦争なんてない、武器なんてないそんな世界にしないといけないね」

 子どもたちとこんな会話をしなくてもいい世界にしていかなければなりませんね。そしてそれは私たち大人の責任です。